ynkby's blog

正しく考えるというのは難しい

土人の無常

むかつく人間に「土人!」と罵声を浴びせかけたりするシーンがあったりするが、「土人」とはどういう意味か。

未開人・野蛮人といった感じで使われるが、もともとはその土地の人という意味だった。「〇〇地方の土人」というと、〇〇地方に住んでいる土地の人、土着の人を指す。それがいつしか野蛮人となった。

土人が未開人・野蛮人となった過程には、アイヌが関係しているという。アイヌ土人の関係は、江戸時代にさかのぼることができる。まず、安政3年にアイヌを「土人」と呼ぶよう、お達しがあった。それまで夷人だったが、日本人として取り扱うようになったということだ。その後、明治11年に開拓使(北海道の役所)がアイヌの呼称を「旧土人」とすることで統一した。当時、「古人」「土人」「旧土人」と様々に呼ばれていたのを「旧土人」に一本化したということだ。そして、明治32年の北海道旧土人保護法へと向かう。

つまるところ、
当初、アイヌは夷人であった。夷人とは異人で野蛮人のことであり、当然、差別とか侮蔑とか憎悪の対象である。それが、アイヌ土人あるいは旧土人と呼ぶようになったことで、アイヌを介して、土人=夷人という図式ができあがった。つまり、土人が夷人、つまり野蛮人を意味するようになった、という流れか。あるいは、アイヌの生活形態は狩猟であった。狩猟は農耕より発展段階としては原始的で未開だ。ということで、アイヌを介して土人=未開という連鎖が成立したか。

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
言葉の意味は一時たりともとどまることなく変転していく。
土人を単純に差別語とする人も、差別語じゃないとして意に介さない人も、この言葉の無常を感じられていない。

オスプレイは不時着したのか墜落したのか

ちゃんと定義して、定義通りに使っているなら、どっちでもいい。
 
しかし、オスプレイ配備の可否の根拠とするためにやっているのなら、つまり、不時着なら配備可能になり、墜落したから配備不可になるというためなら、不毛である。
 
墜落とか不時着の定義には、二つの仕方がみられる。
 
一つは、事実面からの定義である。例えば、墜落とは機体がバラバラになった場合、不時着とは機体が制御可能な状態であった場合というように。
 
これに加えて、もう一つの定義の仕方が隠れている。効果面からの定義である。つまり、墜落とは、オスプレイ配備不可になるもので、不時着とは、そうならないもの。
 
では、機体が制御可能であり、かつバラバラになった場合、これを不時着とすれば配備可能となり、墜落とすれば配備不可ということになるのだろうか。
 
ならない。事実面からの定義と効果面からの定義には、何の関係もないからだ。この場合、不時着も墜落も、単なる多義語である。
 
機体が制御可能で、かつバラバラになったものを、墜落と呼ぶことにしても、墜落であり(事実面)、不時着である(効果面)ということは可能である。あるいは、不時着と呼ぶことにしても、不時着であり(事実面)、墜落である(効果面)ということが可能である。
 
機体がバラバラだから墜落であり、墜落ということは配備不可である、と考えてしまったり、あるいは、機体が制御可能であったから不時着であり、不時着ということは配備可能である、と考えてしまったなら、別々になされた互いに無関係な定義を同じ字面であるためにつなげてしまった結果である。多義的な言葉に思考が乱されているのである。
 
オスプレイ配備の可否を考えるために大事なのは、字面や定義にこだわることではない。機体が制御可能でバラバラにならなかった場合の配備の可否はどうか、機体が制御可能でバラバラになった場合の配備の可否はどうか、機体が制御不可能でバラバラにならなかった場合はどうか、機体が制御不可能でバラバラになった場合はどうか、といったことを技術面から検討し、配備の可否を考えることであって、それらの呼び名をどうするかなどどうでもいい。そんなことにかかずらわっても益はない。あるのはレッテルをはる効果くらいだ。それが大事なのかもしれない。

日本人は時間に正確なんじゃない、遅刻に厳しいんだ

 

遅刻の誕生―近代日本における時間意識の形成

遅刻の誕生―近代日本における時間意識の形成

 

 

日本人は時間に正確だという。電車はダイヤ通り正確に動くし、会社に遅れる者もない。しかし、仕事を終える段になると、まったく時間を守らない。日本人は本当に時間に正確なんだろうか。

実は日本人ももともとは時間にルーズで、お雇い外国人をあきれさせていた。納期遅れは普通だし、職場にやってこないサボリ職人は多かった。

そこで、近代化には時間規律が必要ということで、時間教育が始まった。工場では欧米の近代労働の導入が試みられ、一般に向けても、時の記念日が制定され、無遅刻無欠勤運動がすすめられることになる。

生産現場では、テイラーの科学的管理法の移入が始まった。導入者の一人、伍堂卓雄は、欧米人の働き方はメリハリがきいていて、働くときにはわき目も降らず働き休むときは十分休養するのに対して、日本人は始め終わりがだらだらだと言う。これを改善するため遅刻したら減給するなど様々な手立てが打たれることになる。

学校でも時間規律教育が行われた。小学生徒心得には、授業の十分前には登校せよと書かれ、尋常小学校修身書には遅刻はよからぬことなりと書かれた。

どうやら、日本人の倫理観に埋め込まれたのは、西洋型のメリハリ型時間規律ではなく、遅刻はいかんというものだったようだ。

始業時刻に遅れないのは、遅れると遅刻だからだ。
電車が時間通りに動くのは、遅く到着するのは遅刻だからだ。
終業時刻を過ぎても仕事しているのは、別に遅刻ではないからだ。

無遅刻無欠勤以外においては、日本古来のだらだらが発揮される。だらだら文化の上に「遅刻はいかん」が乗っかったのが、現在の日本の時間規律である。

ということならは、終業時刻を守らせるようにするのは簡単だ。終業時刻を過ぎて会社にいることを遅刻ということにすればいい。

言葉狩りをするものは言葉を饅頭と考えているのか

 

ソシュールの思想

ソシュールの思想

 

 

箱の中に、饅頭が詰まっているとする。饅頭を一つ取り去ると、そこに饅頭のない隙間ができる。

では、箱の中に風船がぎゅうぎゅうに詰められているとする。風船を一つ取り去ると、残された風船が膨らんで、空いた隙間を埋める。

ある語がどのような意味を持つかは、他の語との関係に影響される。

「いぬ」という語と、「おおかみ」という語があって、それぞれ犬と狼を意味している。ここで、「おおかみ」という語を取り去ると、饅頭の場合にように、隙間ができて狼を意味する語がなくなるのかというと、そうではなく、風船の場合のように、「いぬ」という語が膨らんで、狼も意味するようになる。

ある語が何を意味するかは、自然法則のようなものによって各語個別に決定されるのではなく、行き当たりばったりで決まるし、近隣の語に何か起これば、すぐに影響を受けて、変化したりする。

とすると、

特殊部落という語の使用を禁止するとする。すると、饅頭の場合のように隙間ができるのではなく、部落という語が風船のように膨らんで、特殊部落も意味するようになる。そうすると今度は、部落という言葉を禁止し、特殊部落ではない部落を表現するのには、集落とか地区とかを使うことになる。

語は風船なので、ある語の使用を禁止すると他の語が成り代わって、禁止された語の表していた意味内容を表すようになる。

このようなことがあまり頻繁に起こると、語と意味の関係に混乱が生じるかもしれない。ことばの乱れというやつかもしれない。

しかし、意味内容とは関係なく、その語の響き、字面といったものに接することで、不快感とか、よからぬ感情が生じる、というのなら、その語を使用しなくなれば、そういった感情がその語によって引き起こされるということはなくなるのかもしれない。

寛容と和は、どうちがうのか

 

 

日本の建築を見ると、西洋型の家に、畳とかが違和感なくなじんでいたりする。こういうのが和らしい。

和とは、対立し、相容れないものを和解させ、調和させるものとする。今和歌集に出ている紀貫之の言葉を引く。「力を入れずに天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思わせ、男女の仲をも和らげ、猛き武士の心をも慰むる」

そして著者は、「和」の読みに注目する。
和らぐ(やわらぐ):敵対心の解消
和む(なごむ):仲良くやる
和える(あえる):異なるものを混ぜてなじませる

 

世界の名著〈第27〉ロック,ヒューム (1968年)

世界の名著〈第27〉ロック,ヒューム (1968年)

 

 

一方、ロックは、寛容が大事と言って、異教徒に対する迫害とか拷問を控えるように言う。というのも、そんなことをしても救済にならないし、キリスト者のすることではないからだ。教育とか説得によらないと、信じてないのに強制しても無意味らしい。

先の和の三側面と比べると、敵対心を解消する必要はないし、異教徒と仲良くやる必要もなし、異教徒と混ざってなじむ必要もない。

寛容は、異教徒をどのように扱うべきかの話であって、自分が正しいことは前提だ。異教徒と混ざって自分も変わろうという話にはならない。

寛容は、英語で言えば、tolerance。寛容という訳語もあるが、我慢せよとか、自重せよ、という類のものである。

寛容は、敵対関係のレベルにおいて意味をなすものである。

天皇は立法者ではなく現人神

アニミズムの濃い村をみると、村の慣習を変えることは内部者にはできない。

中国雲南省のワ族には、首狩りの慣習があった。それは別に人殺しが好きだったからやっていたわけではない。焼畑農耕の豊穣を祈るために、一年のうちある期間だけ行う農耕儀礼であった。狩った首を神聖な小屋の前に供えると、種が芽を吹き、苗が育つのだという。中国共産党の時代になった1949年に禁止され、78年を最後に止んだという。村人に聞くと、首狩りのない今の方が幸せだという。別に楽しいものでもないし。それでもやり続けていたということは、習慣を変えることは村人の誰にもできないということだ。というか、そのような発想がないのかもしれない。

天皇アニミズム世界の長みたいなものとすると、これと同じことになる。天皇がルールを変えるというようなことはしない。天皇が現人神だとしても同じだ。日本の神は、祟るか恩恵を与えるかぐらいしかしない。ちゃんと祭れば恵みがあるだろうし、そうしなければ祟りが起こる、というくらいだ。

対して、ユダヤ教とかでは、絶対神が戒律を出してくる。これには、村の慣習を変える力がある。そもそもこれらの宗教は、既存の信仰を覆すべく生み出されたものだ。古くからの因習・信仰を捨てろ、偶像なんか崇拝するな、俺を信じろ、というのがこれら宗教だ。(ちなみに、絶対神が出てこない仏教も、旧習を変え、戒律を出してくる点では同じだ。)

絶対戒律神のアナロジーで政治が行われるとき、その長は、ルールを変えることができる立法者として現れることになる。対して、天皇アニミズム的現人神であるとすれば、天皇は立法者ではないということである。別に戒律を宣って指導者になったりはしない。長だから立法するに違いないというのは大間違いだ。ちゃんと祭れば恵みがあるだろうし、そうしなければ祟りが起こる、というくらいだろう。

 

21世紀 日本像の哲学 アニミズム系文化と近代文明の融合

21世紀 日本像の哲学 アニミズム系文化と近代文明の融合

 

 

天皇の戦争責任論の意味


日本は、経済発展した今でもアニミズムが生き残っている。日本の信仰として生きている神道が、それを体現している。精霊・神々が存在し、霊能者シャーマンが活躍する、アニミズム的神話世界を継承している。

普通、アニミズム段階にある世界は、近代主権国家を形成するには至らない。日本も、大きな国家となっていくうえで、いろいろ変わっており、原初的な形でアニミズムを残しているわけではない。

では、より純粋なアニミズムはどんなものか。

アニミズムの世界では、村長と村は同体である。村長が死ねば村も死んだとみなされる。そして、新しい場所に移って再び村が作られることになる。昔の天皇も、代替わりのたびに新しい場所に宮をこしらえてきた。アニミズムの伝統である。代が替わっても動かなくなるのは、藤原京とかが建設されてからだ。

あるいは、長が弱って来たら早めに殺して元気な後継者に継がすことが行われたりもする。村長と村が同体であるなら、村長の健康状態と、村の健康状態は連動する。

また、シャーマンは、自然災害とか五穀が実らなかったりとかかがあると、殺されることがある。災いを防げなかったら、怠慢としてその責任を取らされる。

とすると、昭和天皇の敗戦時の退位論は、アニミズムにちがいない。

天皇は、アニミズム的世界を体現する神話を基礎にした存在で、神の子孫であり、五穀豊穣を後に先に祝うシャーマニック伝統を受け継ぎ、村長と同様の、国長であるとすると、戦争による国の崩壊は、国長として天皇の力の欠乏を示すもので、国を立て直すには早急な新しい国長の擁立が急務ということになる。アニミズム的発想からは、ごく自然なことで、敗戦、あるいは不幸を与えたことに対して、責任を取らせるということである。

ただ実際には、昭和天皇が退位することはなかった。これは、日本が純アニミズムの世界ではなかったことを意味している。当時すでに近代化を進めた立憲君主国だったのであり、法的には天皇に責任はなかった。アニミズム的原理のみによっては動かない状況にあったのだ。

とはいうものの、退位論がその後すぐに力をなくしてしまった原因はというと、これはアニミズムだ。日本のその後の復興、高度成長による繁栄の道を歩み始めたのであり、うまくいっている時に国長をどうこうする意味はないからである。別に立憲制とかは関係ない。

そして、天皇戦争責任論は、今もくすぶり続けている。天皇に法的責任はなくともアニミズム的責任はあったのだ。それが、その後の発展でうやむやになってしまっただけなのである。


、これは、アニミズム的発想からは、天皇の敗戦責任は、ごく自然なことと言える。
これは、やはり日本にアニミズム国家であることを示してる。

 

 

ヤマト少数民族文化論 (あじあブックス)

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