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ynkby's blog

正しく考えるというのは難しい

戚夫人と浅野長矩から人の評判を考える

戚夫人とは、漢の高祖の側室で、歌と踊りがうまく、高祖の寵愛を受けた人だ。高祖の死後に高祖の正室の呂雉に手足を切られ便所に捨てられたとかいう人ブタ事件が有名で、呂雉からとんでもなくひどいことされたかわいそうな人という扱いを受けているような気がする。


しかし、戚夫人も、高祖に自分の子供を跡継ぎにしてくれと頼んだりしている。こういうことは、普通、国を乱すこととして悪く書かれる。実際、高祖も跡継ぎを変えようとしているが、臣下から反対され、失敗している。結構、悪いことをしているのだ。

戚夫人が悪く言われないのは、呂雉を悪く言うためではないか。人ブタ扱いにしても、それくらいの扱いをした人は他にもいたはずだ。ことさら呂雉のものが強調されるのは、呂雉を貶める狙いがあるからにちがいない。これは呂雉が女だったからだ。国のトップに立つ女は悪女であるという伝統があるようで、これが影響しているのかもしれない。

呂雉を悪く言うため、呂雉の行った悪いことは、それほどでなくとも、ことさらにスポットが当てられる。当然、善人に対して理不尽にひどいことをした方が悪さが際立つので、戚夫人は、なるべく善人に描かれる方がよい。

似たようなものに忠臣蔵がある。浅野長矩の印象が、、松の廊下で刃物を振り回したバカ殿様というものにならないよう、吉良のキャラを立たせ、とにかく意地の悪い人間に描く。

呂雉を悪く見せるため戚夫人の悪さは強調せず、浅野をバカに見せないよう吉良の悪さを強調する。戚夫人も浅野長矩も得をしているのではないだろうか。

ここから得られる教訓は、自分の悪行を問題にされないためには、悪い奴、嫌われてる奴のそばにいること、あるいは、悪いやつに仕立て上げよということだ。