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正しく考えるというのは難しい

九条を考えるために再軍備論の原点にもどってみる 『再軍備とナショナリズム』

再軍備とナショナリズム (講談社学術文庫)

再軍備とナショナリズム (講談社学術文庫)

 

戦後間もない頃に再軍備は否定されてしまった。そして、再軍備派は軍国主義復活をもくろむものとして理解されるようになった。なぜだろう。というのも、戦後の再軍備派は、戦前戦中には軍部に反発し、当時はリベラルとされていた人たちだったからだ。

 

吉田茂は、実は再軍備には消極的だった。というのも、吉田は旧軍が大嫌いで、その伝統を切りたかったからだ。すぐに軍を再建してしまうと旧軍の人たちが復帰してしまい、非合理な体質が復活してしまうと考えたのだ。だから、しばらく間をおいてから、きちんと憲法を改正して再軍備しようとしていたのだ。しかし、朝鮮戦争がはじまり第三次世界大戦の危機を本気で感じていた米軍の圧力には逆らいきれず、ずるずると警察予備隊、保安隊と組織を作っていかざるを得なかった。

 

このずるずるが反対派の不信を生んだ。実は戦前の軍国主義を復活させようとしているのではないかと。しかも、それを補強する材料として、吉田自身、天皇を尊崇し、明治的なモラルを良きものとしていた。戦後に掲げられた民主主義と合っていなかったのだ。さらに、吉田は、自分の考えに反対する者は共産主義革命を狙っている者と決めつけ、弾圧する方向に動いた。完全にファッショである。

 

しかも再軍備の理由が、独立国として軍がないのはおかしいとか、米軍占領下で日本人のモラルが低下しているからというものであった。つまり、米軍と違い、国防に対する危機意識が全くなかった。ソ連が攻めてくるとか全く考えていなかったのだ。(これ、ソ連・東ドイツとすごい緊張関係にあった西ドイツとはまるで違う。西ドイツは素早く再軍備した。)

 

吉田以外の再軍備論者、鳩山一郎とか芦田均とかも似たような感じだった。さらに、彼らを支持する者の中には、当然、こてこての軍国主義者もいた。結局、軍国主義、天皇制ファシズムの復活をたくらんでいるとの主張に説得力を与えてしまったのだ。

 

そんな中で行われた選挙では、夫や息子を戦場に送るな、というスローガンがひどくウケた。平和を訴えた社会党左派(当時社会党は分裂していた)が躍進し、再軍備派は伸びなかった。平和勢力の革新派vs軍国主義の保守勢力という対立構図の出来上がりである。ちなみに社会党右派は再軍備に容認的だったのだが、左派に完全に主導権をとられてしまったのであった。

 

結局、再軍備がなぜ嫌われたかというと、戦場へ送るなキャンペーンがウケたからなのだが、再軍備を言う人たちが、軍国主義復活をたくらんでいるように見えたこととか、日本が攻撃されるといった危機感がなかったことにある。

 

ところで、今でも再軍備反対論の中身は当時のまま変わってないのではないか。当時から今に至るまで、国際貢献とか邦人救出とか軍がないことのマイナス面が指摘されてきたし、さらに北朝鮮問題とか国境紛争がえらくホットになっている。こういった事情を踏まえた上で再軍備に反対できてるのだろうか。今まで何にも考えてこなかったんじゃないか。成功体験が強すぎたのだろうか。