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正しく考えるというのは難しい

なぜ安倍さんはなかなか決めないのか 『忘れられた日本人』

 

忘れられた日本人 (ワイド版 岩波文庫)

忘れられた日本人 (ワイド版 岩波文庫)

 

 

 

著者は民俗学者。日本の村々をフィールドワークしてた。本書は西日本の村々で出会った人との話、出来事を記している。その中に対馬の寄合の話がある。

 

村の文書を借りたいと言ったら、その村の長が、自分の一存では決められない、寄合にかけないといけないということになった。

 

その寄合ではどのような形で協議がなされたのか。

 

まず、皆が思い思いのことを言う。とはいえ、理屈を言うのではない。関係する事例を語る。昔、文書を貸したらこういうことになったなあ、とか。その体験語りから自分が賛成か反対かをにじませる。侃侃諤諤の議論をするのでもない。賛成意見が出たら出たでそのままにし、反対意見が出たら出たでそのままにする。決をとることを急ぐこともない。用事がある者は家に帰り、済んだらまた戻ってくる。そのような形で進め、最期に最高責任者が自分の責任で決める。あんたがそういうのなら異存なかろう、というように持っていく。著者の村の文書の議題は一日足らずで結論が出たが、議題によっては3日ぐらいかかったりする。

 

こういうやり方は、すべての人が発言する機会を持つので、村の秩序、結束にはよいが、反面、前進には障碍となるという。

 

こういった寄合も合議制だろうが、理を尽くして意見を戦わせ、最期には多数決で決定するというイメージとは違う。皆に発言させるが、意見の対立は目立たせないようにする。賛成意見も反対意見もぼやかして、角が立たないようにする。そして、多数決ではなく、最高責任者が決める。ムラ社会で人間関係を破綻させずに物事を決めていく方法だ。議会主義ではなく寄合主義とでも言おうか。

 

これは近代化した今にも続く。国会の多数決は儀式に過ぎない。それまでに委員会とかでちゃんと言いたいこと言わせてもらえないと、強行採決とかいって怒り出す。政治の世界に限らず一般社会でも、しばしば皆の総意であるという形にもっていく。多数決なんかとるとけんかになるのだ。

 

ところで安倍さんは、消費税増税をなかなか決定しなかった。安倍さんは、日本が寄合合議制の国であることを知ったのではなかろうか。第一次安倍政権では、反対論がある問題でも結構簡単にスパスパ決めていた。防衛省を作ったり、国民投票法を作ったり、郵政造反組を復党させたり。これが政権への攻撃につながったのかもしれない。

 

今の安倍さんは、荒れそうな問題は、ぎりぎりまで決定せずに放置する。消費税増税の決定も本来はもっとはやくに決めることになっていたのに伸ばしに伸ばした。まだ機は熟していないと見たのだ。寄合的には、こりゃ3日ぐらいかかるぞ、といった感じか。だからたくさん専門家をよんで会議を作って言いたいことを言わせたのだ。そしておもむろに、色々迷ったけど私の責任で増税をする、としたのだ。寄合の手法だ。

 

ただ安倍さん自身はたぶん迷ってなんかおらず、最初から増税を決めていたはずだ。迷ったと言ったのは反対派への配慮だ。決定を伸ばしたのは、反対論が牙をむくのを避けるためだけにすぎない。

 

ついでにいうと、安倍さんは原発についても何も言わない。再稼働とも脱原発とも言わない。でも、安倍さんは再稼働と決めているだろう。何もしないのは、まだ機は熟してないとみてるからにすぎない。しばらくしたら再稼働へ向け、再び専門家を集めて寄合でも始めるだろう。

 

結構長い歴史を積み重ねてきた日本は外国からの影響を色々受けてきた。しかし、その影響の実態は、うわべだけまねて体裁を整えただけだったりする。日本の仏教が葬式仏教と言われたりするように。議会制も、寄合合議制を西洋風の体裁に整えたに過ぎない。