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ynkby's blog

正しく考えるというのは難しい

なぜ人種差別的観点から日本史を語れないのか 『黄禍論と日本人』

 

 

黄禍論とは、中国と日本が結託して欧米をアジアから駆逐するといった感じのものという。西洋には、フン族とかモンゴルとかにやられた歴史があるから、東洋恐怖症みたいなものがあって、その一種ともいえるようだ。ユダヤ人陰謀論みたいなものか。

 

黄禍論は、19世紀末にフランスに表れ、20世紀前半まで。ちょうど日本の近代化と重なる。黄禍論を追うと、人種差別的な観点からの日本近代史という形になる。

 

日本は、黄禍論には結構敏感であった。文明開化したばかりの日本には、白人対有色人種という形になると勝ち目がないからだ。

 

日清戦争後に三国干渉に遭ったが、この時ドイツが黄禍論を叫んでその正当化を試みた。黄禍論が三国干渉の原因とされたりもした。また、義和団事件では、清から日清連携して西洋と戦おうぜ的な誘いが日本にあったが、黄禍論が吹き荒れたりしないよう日本は謝絶し、事件が収拾したらさっさと撤収した。また、日露戦争では、ドイツ・フランスで黄禍の脅威が叫ばれ、ロシアは黄禍論をもとに聖戦とした。その後の日英同盟は、日本が人種的孤立から解放された同盟であった。そして、第一次大戦後のヴェルサイユ講和会議では、国際連盟で人種的に孤立することを恐れ、人種差別撤廃を連盟規約にを入れようとした。この時、アメリカの反応は思ったより悪くなかったが、イギリスが自治領、白豪主義をとるオーストラリアの大反対を受け反対に回り、流れた。

 

最終的に、国際社会で人種差別撤廃が出てきたのは、国連憲章であった。ただ、この時も大国間では最初は人種平等条項は入れないということになっていたらしい。それが中小の連合国が要求してひっくり返ったのであった。ちなみにこの時日本は敗戦国であったため、これにはまったく関与していない。当然のことながら。

 

ところで、アメリカでは日露戦争後から黄禍論が強まった。中国人排斥と日本人排斥が続いていた。そんな中で日本との戦争が始まった。

 

この戦争に人種戦争の意味を持たせることはできたかもしれない。日露戦争の時には黄禍論が出たし。しかし、できなかった。アメリカもその点には敏感であった。中国人排斥法は廃止し、ファシズムとの戦いという意味付けをプッシュした。しかも戦後、国連憲章に人種平等条項が入ってしまった。やっぱり勝った側が平等化を進めては、理屈が立ちにくい。

 

当初は人種対立が前に出ないよう警戒していた日本は、力をつけ人種差別撤廃を主張するに至った。のに、最終的に白人に敗北し、戦勝国側が人種平等条項を国連憲章に入れ、物語のオチがつかなくなってしまった。これが、人種差別的観点から近代日本史を捉えることを難しくしている。