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ynkby's blog

正しく考えるというのは難しい

お茶漬け日本に法の支配はムリ 『日本人の法意識』

 

日本人の法意識 (岩波新書 青版A-43)

日本人の法意識 (岩波新書 青版A-43)

 

 

日本は法治国家であるとか、法の支配があったりすると言われるが、そうでないと言われたりもする。法治国家とか法の支配とかは、西洋から移植したものだが、ちゃんと移植できてるのかという問題だ。

 

西洋法を身に着けた著者は、色々違和感を感じている。日本は、契約の時、細かい内容を決めたりしない。契約書など作らないことも多い。問題が起こったらその都度話し合って解決するというやり方を好む。西洋では、細かに権利義務を決める。それでも問題が生じたら仲裁で解決しようとする。仲裁とは裁判みたいなもので、判決が下りてくる。当事者の合意とか納得はいらない。日本は、裁判を嫌い、仲裁的調停を好む。仲裁的調停とは、長老とかの偉い人が解決策を決めたというような体裁で、実は紛争当事者間の合意がとられているものだ。両者の顔を立てるのも忘れてはいけない。著者が、調停の場に出ていって当事者の権利関係について述べると、調停委員から裁判じゃないんだから権利とか理屈を言うなと怒られたという。

 

中でも、西洋法の基本といえば、権利だ。権利を主張して事が始まる。西洋人は権利義務の問題になると何の遠慮もなしに一切の権利を主張するという。下宿料を支払うときには、五銭のことにでも質問し、相手も快く説明し、間違っていたら訂正する。それで何も感情を害しない。五銭でも一銭でも、権利は主張するもので、そうしないと、相手は頭の悪いバカと思うだけらしい。日本人は権利主張とかされると気分を害する。

 

たぶん日本は察する文化だ。主張すると角が立つから、周囲が察しないといけない。要求を伝えるのは、以心伝心とか、腹芸という方法を使う。言葉はいらない。それでも通じないときは、遠まわしに言う。京都のお茶漬けのように。お茶漬け食べていきませんか?は、早く帰って下さいのサインである。

 

日本と西洋とでは、コミュニケーションはじめ、人と人との接し方のルールが違うようだ。お茶漬け文化の人間に権利主張せよといってもムリだ。しかし、法治国とか法の支配のためには権利主張を身に着けることが必要なのかもしれない。とすると、お茶漬け文化をやめない限り、日本に法治国とか法の支配は定着しないということになる。