クールジャパンの再定位 『小泉純一郎 ポピュリスムの研究』
小泉は自民党をぶっ壊すと言って、党内反対派をばっさばっさ切り捨て、長期政権を維持した。小泉のリーダーシップの強さの源泉はなにか。選挙制度や橋本行革でなされた首相機能の強化という制度改革によるものかというと、そうではなく小泉の資質に依るところが大きいというのが著者の見解。
小泉の強さを支えたものの一つに高支持率が挙げられる。それはどのように可能になったのか。
道路公団民営化や郵政改革で見られたのはポピュリスト的手法である。それは、難しい経済問題とか財政問題をそのまま国民に訴えたりせず、わかりやすい善悪二元論の道徳次元の争いに持っていって支持を取り付け、加えて、プロに対抗し、アマチュア・素人さ、フレッシュさを前面に出す。道路公団・郵政改革では、経済問題や財政問題に精通したプロ政治家に抵抗勢力というレッテルを張り、それをつぶすという形に持って行った。
北朝鮮外交では世論に対する鋭敏な感覚が見られた。小泉は、イラクに自衛隊を派遣したり、北朝鮮に強固な姿勢をとったりしたが、もともとは素朴なハト派であった。そもそも外交に興味がなかった。防衛庁を省に格上げしようという山崎拓の提案に対しても、タカ派と思われるから嫌だといって拒否したという。重要な支持層である主婦層に嫌われると思ったからだ。自衛隊をイラクに派遣したのはアメリカに協力しなければいけなかったからだし、北朝鮮への訪問ももともと国交正常化のためだった。
しかし北朝鮮に関しては世論の方が変わってしまった。拉致問題が原因だ。なんだかんだでコメ支援とかしてきたのにまったく意味がなかったことが判明した。家族会は、同じ拉致被害に遭っていたレバノン政府は強く北朝鮮に抗議して解決させていたことを知り、政府の宥和政策を批判し強い措置をとれと主張した。平和勢力は、北朝鮮は楽園と言って拉致事件を否定してきたたため信用を失ってしまった。マスコミは拉致問題を無視してきた負い目があったからかすごい報道をした。
小泉は、この世論を察知し、転換した。一時帰国者を返さず、対北朝鮮の制裁法を作った。拉致家族と面談し、家族と一緒に暮らせるようにするのが私の責任だとテレビの前で言って支持率を上げた。
日本は戦後、宥和外交でやってきたという。天安門中国といち早く仲直りしたのは日本であったし、ミャンマーとも付き合いは切らずに関係をつなげてきた。とすると、北朝鮮拉致事件は、戦後日本の宥和外交の転換点になるのかもしれない。
現在日本の好戦性は戦後最高に達しているようだ。その性質も変わってきている。小泉時代は拉致という人権問題をベースに強い姿勢をとった。これに対して、後を継いだ安倍さんはずっと国家主権に焦点をあててきた。拉致は日本の主権をないがしろにしていると発言していた。そして、現在の領土問題は、もろ主権の問題である。
そんな感じで宥和一辺倒はやめた日本であるが、一つ懸念がある。この好戦性はちゃんとコントロールされているのだろうか。日本人には忠臣蔵の浅野長矩のように、後さき考えずにキレる性質がある。後さき考えないとろくなことがない。浅野長矩は切腹となり、赤穂藩もつぶれて、藩士は路頭に迷うことになった。それでも、あるいはそれだからこそ浅野長矩に同情するのが日本人なのかもしれないが、やはりこういう時こそ、熱くならず、クールジャパンに活路を見出したい。