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正しく考えるというのは難しい

契約社会とは 『タテ社会の人間関係』

 

タテ社会の人間関係 (講談社現代新書 105)

タテ社会の人間関係 (講談社現代新書 105)

 

 

契約社会とはどんな社会か。契約書を作らないと何も認めない、人を信用しない社会か。細かいことまで事細かに契約書に書いておかないと、つけこまれてしまう油断ならない社会か。

 

著者は、人間関係の在り方を、タテ社会とヨコ社会とコントラクト社会の三つに分ける。タテ社会とは、タテ移動はできるが、ヨコ移動ができない社会。日本のような社会で、平社員から社長になれたりもする。ヨコ社会は、横のつながりが強い。身分社会だ。そして、コントラクト社会は、コントラクト、つまり契約で指揮系統が確立できる社会である。

 

タテ社会とコントラクト社会の違いを説明するため、学術調査団の例を挙げている。ヨーロッパの調査団は広く人材を集める。隊長と面識のない人も参加させる。そして、それでうまくいく。団長と団員の関係は仕事に関する限りは徹底しており、団長命令は絶対的なものとして服従される。団長より高名で年上の団員であっても、団長の指示に従う。そして、仕事に関係のない行動については全く自由である。

 

日本では、こんな感じでチームを作ると失敗するらしい。どれだけすごい研究者から構成されていても、人間関係が崩壊するようだ。しかし、長老をリーダーにして、愛弟子を集めて調査団を作ると、ものすごい調査遂行能力を発揮するという。

 

コントラクト社会のポイントは、人間関係、指揮命令を人為的に設計できるかということだろう。とすると、著者のタテ社会・ヨコ社会とコントラクト社会を同じレベルに並べるのはおかしい。タテ社会かヨコ社会かと、コントラクト社会かそうでない社会かは別観点の話だ。タテ移動・ヨコ移動という点から見れば、ヨーロッパもヨコ社会になるかもしれない。つまり、ヨーロッパは、ヨコ社会でコントラクト社会、日本はタテ社会で非コントラクト社会というように。もちろん、ヨコ社会で非コントラクト社会もタテ社会でコントラクト社会も分類の上では設定できる。

 

で、コントラクトに着目して単純にモデル化すれば、コントラクト社会は、契約以前の人間関係がどうあれ契約によって指揮命令関係を設計できる社会、非コントラクト社会は、それができない社会、ということにでもなろうか。

 

問題になるのは指揮命令関係に限らないように思える。川島武宜は、日本の田舎では、なんで初めて会ったばかりの都会人との約束を守らんといかんのかという感覚があることを指摘していた。人間関係が、契約によってつくられた債権債務関係に優位してたのだ。

 

指揮命令関係とか債権債務関係を権利義務関係の一種とすると、契約社会とは、人間関係、つまり、年上であるとか年下であるとか、つき合いがあるとかないとかよりも、契約で人為的に設計された権利義務関係が優位する社会、契約を破ることになっても年下になんか従えないなどという感覚のない社会である。