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正しく考えるというのは難しい

和の精神とホンネとタテマエは何か 『日本における朝鮮少数民族』

 

日本における朝鮮少数民族―1904年~1950年

日本における朝鮮少数民族―1904年~1950年

 

 

日本といえば和である。平和主義が根強いのも、その一つの現れかもしれない。とはいえ、そもそも和とは何か。単に戦争とか喧嘩をしないことか。それともそれ以上の何かか。

 

本書は、アメリカ人がアメリカ向けに書いたものだ。1951年ごろのものだ。来るべき日米の平和条約締結の際には、日本における朝鮮少数民族問題が出てくるはずだ。アメリカも占領政策の一環で色々やったから責任は避けられない。だから、朝鮮少数民族について知っておいた方がよい。というスタンスである。

 

日本における朝鮮少数民族の変遷をざっくりいうと、戦前は仕事を求めて日本にやってきて低賃金労働者となり、仕事をとられた日本人と敵対した。戦中になると、逆に労働が必要となり、日本に連れてこられた。そして戦後、彼らの帰還が問題となった。 その帰還が終わらないうちに朝鮮戦争が始まって、帰還事業は止まってしまった。このあたりが本書の書かれた時代である。

 

筆者は、韓国人と日本人が同化するのは無理と見ている。朝鮮人は日本人に同化するのは嫌がっているし、日本人も朝鮮人に日本人になってほしくないと思っている。だから、帰還させねばならない。ただ、強制的帰還は人道に反するので、自発的帰還を促さねばならないという。

 

お互いに嫌っているわけだが、併合していた時代は、ちょっとちがった。協和会という団体があって、朝鮮少数民族を管理していたのだが、その団体は、融和、一体、同化をスローガンに掲げていたのだ。

 

このスローガンは、タテマエかもしれない。確かに、協和会は、朝鮮半島との行き来に必要になる証明証の発行を一手に引き受けており、正規に日本に来て住むためにはここに登録しないといけなかったりして、実態は、統制的、強圧的、差別的な機関だったらしい。それはともかく、協和会の言葉は、日本人にはお馴染みのものだ。和という語も、融和という言葉の中に出てくる。融とは、溶けるということだ。融点といえば固体が溶ける温度のことだし、融合なら、fusionだ。核融合の場合は、複数の原子核が一つになって新しい原子核になる。ドラゴンボール的には、複数の人格が一つの人格になる。和の精神の具体的な中身とは、こういうものなのかもしれない。川島武宜も和の精神は渾然一体みたいなのを志向するものと言っていた。和の精神とは、フュージョンせよ、少なくともそれに向かってがんばれということにちがいない。

 

とすると、日本的なホンネとタテマエは、この和の精神から生まれてきたにちがいない。理想はともかく、和の精神は実際には難しい。確かに一体感などはすごい幸福感を与えてくれるかもしれないが、いつでもどこでもフュージョンとかやってられない。しかし、それでもフュージョンを維持しなければならないとすると、何らかの調整が必要だ。そこでどうなったかというと、反対意見があっても表向きは賛成しておくが、協力行動は実質的に一切取らないという行動原理だ。周りの人間も、事情が分かっているので、裏で反対のことをやっているのを見ても、まあしょうがないと特に批判はしない。反対意見を表明する方がもっと悪いことなのだから、それをしなかっだけよいのである。

 

とすると、協和会のスローガンは、やっぱりタテマエである。ホンネではそんなこと難しいから無茶もするということになる。この辺が、和とホンネとタテマエの弱点か。ホンネ・タテマエ原則が、調整原則としてあるのはいいが、ホンネとタテマエのギャップはどの程度に収めるべきかについて何も言わないし、ホンネの行動が適正な範囲に収まっているかについて冷静な吟味の要請もできない。そんなことをすると和を真っ向から否定していることになるから。さらには、朝鮮少数民族は和というタテマエ自体にも反発してきているわけで、タテマエ自体を堂々と否定されたりするのは完全に想定外の事態だ。

 

ところで、自律した個人からなる社会といったものは、フュージョンみたいなものを志向するのだろうか。しない気がする。和の精神がないなら、反対意見を表明しても特に悪いことではないということになる。自律した個人が法の支配の前提であるとすると、法の支配は、和の精神の下では難しいということになる。

 

ついでにいっておくと、本書は、翻訳本だが、誰が翻訳したのかとか何にも書かれていない。著作権的に大丈夫なのだろうか。