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ynkby's blog

正しく考えるというのは難しい

クールジャパンの再定位2 『言霊とは何か』

 

言霊とは何か - 古代日本人の信仰を読み解く (中公新書)
 

 

言霊を、言葉自体が持つ霊力と考えるのは、幕末とか明治ころから広まった国粋主義者神秘主義であって、もともとあったのは、神を通じて発言が実現されるという考えだという。たとえば、人間が発する呪いの言葉は、悪いことをが起こるよう神に祈ることだったらしい。

 

一方、神の言葉は実現する。任務を忘れた天若日子が天に向けて放った矢を手に取って、高木神は、文を唱える。「天若日子が命令に背いておらず悪い神を射た矢ならあたるな。邪心があるなら当たって死んでしまえ。」そういって矢を投げ返したら、天若日子にあたって死んでしまった。

 

天若日子は、地上の様子を探るために天から派遣された神だ。天の神が、その子に地上を治めさせようと動いていた頃の話。天若日子が派遣されたのは、当初地上を治める予定だった忍穂耳命が、地上を見て、「地上はえらく騒然としている」と言ったからだ。ちょっと様子を見てこい、と言われて地上へ降りた天若日子は、そのまま地上の神の娘と結婚して居ついてしまったのだ。ちなみに、忍穂耳命の言った騒然としているという言葉も実現していることになっている。

 

この忍穂耳命の言葉は、国見・国讃めの失敗だという。国讃めとは、天皇が行った、国土を褒め称えることによって、その地の神の霊威を強め、国土を繁栄させる儀式だ。これも、天皇の言葉がそのまま国の繁栄となって実現するとかいうことではなく、神が介在している。神の霊威の強さとその地の繁栄に密接な関係がある。だから、国の衰退も同じだ。旧都大津が荒廃したのを嘆く歌では、その地の神の心がすさんだことが荒廃の原因となっている。先の忍穂耳命の神話は、そんな国讃めの発想を話に投影したものらしい。

 

有名な国讃めは、舒明天皇が、天から落ちてきたとされる神聖な山、天香具山で行った国讃めだ。次のような趣旨の国見歌である。

 

大和の国を見渡せば 飯を炊く煙が盛んに立ち上っている かもめが盛んに飛び交っている 素晴らしい国だ 大和の国は

 

クールジャパンは国讃めとして再定位しなければならない。