国生みの神話というものがある。伊邪那岐と伊邪那美とで日本を生んでいく話しだ。最初は、伊邪那美が、なんて立派な男なんでしょうと声をかけ、次に伊邪那岐が、なんて立派な女なんでしょうと声をかけ、性交して国を生んだのだが、ちゃんとした子(国)が生まれなかった。女が先に声をかけたのがいかんということで、今度は、伊邪那岐が先に、なんて立派な女なんでしょう、と声をかけて再チャレンジしたら、淡路島とか四国が生まれてきた。
この話は、古事記なんかにある話だが、もともとはちょっと違ったものだったらしい。この話では、男が先に声をかけるか、女が先か、という順番がポイントになっているが、本来は、男神が女神を讃め称えるということがポイントだった。国土を生む女神を男神が讃め称える、立派な国土が生まれるのを予祝すべしというのが、もともとの国生みの思想だったのである。最初の国生みの失敗は、女神の発言がこれに沿わなかったからである。男が先でないといけないというのは、のちの時代に付け加えられた、中国の思想の影響であろうという。
古事記とか日本書紀が作られたのは、日本が中国を意識して、日本も先進国だ、中国に追いつけ追い越せ的なスタンスで動いていた時代だ。先進国になるために、中国の思想を輸入し、男尊女卑思想に舵を切ったのである。
時代下って、何百年か前からは、西洋が先進国となった。日本は西洋を意識して、日本も先進国だ、西洋に追いつけ追い越せ的なスタンスで動いてきた。先進国になるために、西洋の思想を輸入し、今度は、男女平等に舵を切っている。
今後の日本はどうなっていくのだろうか。それは、どの国が先進国になるかにかかっている。西洋が先進国であり続けるなら、このまま男女平等が維持されるだろう。中国が先進国になるなら、日本は再び男尊女卑へ舵を切ることになるだろう。そして、日本が先進国になったら、女を讃め称える国になるだろう。