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ynkby's blog

正しく考えるというのは難しい

社会契約は現人神 『日本の神々』

 

日本の神々 (中公新書 (372))

日本の神々 (中公新書 (372))

 

 古事記とか日本書紀には神話が描かれている。そういった書物に描かれている神話は、その書物を作った者の操作が入っていて、もともとの形とはちがったものになっている。神話学とは、古事記なんかに描かれている神話の原型を追及するとともに、それがどのように展開して古事記に描かれるような話になっていったかを考える。

例えば、イザナギイザナミは、淡路地方のローカルな神様だったのが、古墳時代の難波朝期に中央と淡路の人との交流が増えて、中央の人にも知られるようになり、そこから、もともと淡路島を生んだ程度だった国生みが日本の本州も四国も九州も生むようになり、そして、皇祖神アマテラスの神話が作られていく過程で、アマテラスの親という設定になったという。

八俣大蛇も、もともとは、出雲あたりの竜蛇・水の神様で、酒を供えて祭り、斎女が結婚したりしていた文化があったのが、東方の紀伊の辺りからスサノオ神話を携えてやってきた鉄の刀剣文化によって、蛇神様は邪神とされ、斬られることになり、その剣が草薙の剣となったという。

かくいう神話というのは、超自然的な霊的存在の昔の行いによって現在があるとされ、その内容は真実と信じられ、絶対的な規範となるものらしい。「信仰的事実」として社会で機能したという。

ということは、現人神も社会契約も人権も神話ないし信仰的事実だ。社会契約を結んだ歴史的事実はない。社会契約の契約書を持っている人はいない。しかし、社会契約をあからさまに批判するような感じはない。あんまり社会契約をフィクションだとかいうと、茶化すなとかいって怒られそうだ。事実ではないことはみんな知ってるが、あんまりそういうことはごちゃごちゃ言ってはいけないのだ。

同じように現人神のこともごちゃごちゃ言ってはいけないのだ。神でないことは百も承知だが、あんまりそういうことはごちゃごちゃ言うものではなかったのだ。社会契約がフィクションだとか言うと怒る人は、現人神をフィクションだとか言うと怒っていただろう。