八紘一宇の原点 『大王から天皇へ』
古墳時代に入って、5世紀末、ヤマトに変化があった。ヤマトの王は、中国の冊封を受けてきたが、そこから離脱し、治天下大王という称号を使うようになった。
治天下とは、天下(あめのした)を治めるということ。天下とは、大王の支配の及んでいる領域。それは異民族を包摂した世界。異民族に含められたのは、日本の東国の夷。あるいは九州の熊襲とか隼人。そして朝鮮。
治天下大王とは、ヤマトの大王は、こういった未開の異民族も含めた世界を統治しています、という理念、主張。これは、冊封体制から離脱し、中国と伍していこうという意志の表れだ。天下とは、冊封体制に対応するものである。要は、中国と対等の一流国だよといいたいのだ。倭国的中華思想と筆者は言う。
これが可能になったのは、倭が安定して国力を蓄えたこと。騒乱の中にある朝鮮半島に対し日本が優位なポジションをとってきたこと。中国も南北分裂時代で、日本にあまりどうこう言えるような余裕もなかったことなど。
ということは、欧州型植民地帝国主義が真っ盛りのとき、それに伍していくため、近代化に邁進し国力を蓄えた日本が唱えた八紘一宇は、治天下大王に由来するに違いない。単に、中国・東南アジアを大王の治める領域に含めただけだ。冊封に対するのが治天下なら、帝国主義に対するのが八紘一宇だ。
現在、日本は米国の冊封下にある。しかし、近年、米国の衰えが指摘される。そうなると、日本は冊封から離脱するかもしれない。さらには中国との対立が深まる一方で、中国共産党の支配の不安定化もうわさされる。世界に伍してやっていくために、治天下大王の復活、21世紀型治天下大王があるかもしれない。