ynkby's blog

正しく考えるというのは難しい

会議がながいわけ 『忘れられた日本人』

 

忘れられた日本人 (岩波文庫)

忘れられた日本人 (岩波文庫)

 

 

 

戦後に残された伝統日本をフィールドワーク。著者は、対馬とかを旅し、村々の人々と会話する。そこで観察された寄合。寄合とはどんなものか。

まず、皆が納得するまでやる。そして決まったら皆が守る。
村の集会所で集まり、何日でも話し合う。用事があったら帰ってよい。済ませてからまた参加する。飯を食いに帰るとか。弁当持参で来る者もいたという。食べながら話を続ける。夜になっても終わらないならそのままそこで寝て、また起きては話を続ける。難しい案件でも、だいたい三日で片付いたらしい。

進行はというと、侃々諤々とはやらない。理屈は言わない。そんなことすると収拾がつかなくなる。自分の体験とか、聞いた話とか、テーマに関係すると思われる出来事を話す。あの時はああなった、この時はこうなった。話に花が咲く。賛否の意見は、その話に含ませる形になる。あの時ああいうことをしたら、えらいことになってしまった、とか。

ひとしきり皆がしゃべると、別の話題に移っていく。が、しばらくすると、話が戻ってくる。そんなことをしながら少しずつ話が煮詰まっていく。冷却期間が重視される。賛否の意見が出ても、それへ応答はなく、しばらくそのままに放っておかれることになる。

最後は、長老が空気を読んで、そろそろ話を決めようとか言って、こうしてはどうだろうと皆に話しかける。そして、皆がそれで結構ですと同意して終了となる。多数決などない。

なお、昔の村なので、身分なり何なり色々あったわけだが、寄合での発言は互角に扱われる。

村共同体で、毎日顔をあわしても気まずくないようにするによいやり方である。一生をその村で過ごすわけだから、村人同士の関係の悪化は、重大問題である。

とすると、日本の会社の会議が長いのは、寄合文化だからに違いない。一生を過ごす会社において、毎日顔を合わせてもに気まずくないよう、遠まわしな言い方をし、賛否の意見が出たら、冷却期間を置くのである。

しかし、会社というのは、市場競争下に置かれた利益追求体で、その目的に向かって迅速に意思決定し、業務命令の下、まとまった行動をとらなければならない。上司もいれば部下もいる。ここに会社村の会議のジレンマがある。