読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ynkby's blog

正しく考えるというのは難しい

オスプレイは不時着したのか墜落したのか

ちゃんと定義して、定義通りに使っているなら、どっちでもいい。
 
しかし、オスプレイ配備の可否の根拠とするためにやっているのなら、つまり、不時着なら配備可能になり、墜落したから配備不可になるというためなら、不毛である。
 
墜落とか不時着の定義には、二つの仕方がみられる。
 
一つは、事実面からの定義である。例えば、墜落とは機体がバラバラになった場合、不時着とは機体が制御可能な状態であった場合というように。
 
これに加えて、もう一つの定義の仕方が隠れている。効果面からの定義である。つまり、墜落とは、オスプレイ配備不可になるもので、不時着とは、そうならないもの。
 
では、機体が制御可能であり、かつバラバラになった場合、これを不時着とすれば配備可能となり、墜落とすれば配備不可ということになるのだろうか。
 
ならない。事実面からの定義と効果面からの定義には、何の関係もないからだ。この場合、不時着も墜落も、単なる多義語である。
 
機体が制御可能で、かつバラバラになったものを、墜落と呼ぶことにしても、墜落であり(事実面)、不時着である(効果面)ということは可能である。あるいは、不時着と呼ぶことにしても、不時着であり(事実面)、墜落である(効果面)ということが可能である。
 
機体がバラバラだから墜落であり、墜落ということは配備不可である、と考えてしまったり、あるいは、機体が制御可能であったから不時着であり、不時着ということは配備可能である、と考えてしまったなら、別々になされた互いに無関係な定義を同じ字面であるためにつなげてしまった結果である。多義的な言葉に思考が乱されているのである。
 
オスプレイ配備の可否を考えるために大事なのは、字面や定義にこだわることではない。機体が制御可能でバラバラにならなかった場合の配備の可否はどうか、機体が制御可能でバラバラになった場合の配備の可否はどうか、機体が制御不可能でバラバラにならなかった場合はどうか、機体が制御不可能でバラバラになった場合はどうか、といったことを技術面から検討し、配備の可否を考えることであって、それらの呼び名をどうするかなどどうでもいい。そんなことにかかずらわっても益はない。あるのはレッテルをはる効果くらいだ。それが大事なのかもしれない。