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正しく考えるというのは難しい

バッハの自己満足

 

バッハの生涯と芸術 (岩波文庫)

バッハの生涯と芸術 (岩波文庫)

 

 

「自己満足にすぎない」とかいう。主に非難する場面で。
ある人のために何かやったとして、自分では良いことをしたと満足しているが、実は全然ダメ、その人は満足していない、逆に迷惑がってる、といったような時に使う。要は、自己満足より他者満足のが大事だといった感じか。

ところで、本書は、歴史的には、バッハ・ルネサンスの口火を切ったものらしい。バッハとは、音楽家で知られるJ・S・バッハのことだ。
バッハは、死後忘れ去られていたが、著者がこの本で復活させた。この素晴らしい音楽家はドイツ人だ、ドイツ人は誇るがいい、という感じで紹介した。その後、メンデルスゾーンが、マタイ受難曲をやって、バッハは一般人の間でも復活した。教会の曲を数多く残していたということで、敬虔な作曲者というイメージが定着した。そして、ドイツの3Bとか言われて、現在に至っている。

バッハは勤勉で、大衆の喝采を求めなかったらしい。自分の喝采を求めたという。大衆は人間的であることを欲するが、真の芸術家はすべてを神的なものにすべき者なので、両者は折り合わないからだ。

つまり、バッハは自己満足を求めているが、それでいいということだ。

満足するかどうかは、何らかの評価基準に照らして良い悪いと判断するということだとすると、バッハが満足することと、大衆が満足することが異なるということは、各々が採用している評価基準が異なるということだ。

バッハの自己満足が良いというのは、バッハの採用している評価基準が良いということだ。大衆の満足がどうでもいいというのは、大衆が採用している評価基準がどうでもいいということだ。

ということは、他人の満足を得られることをやっても、その他人の採用している評価基準がダメなものだったら、それはダメなんじゃないのか。盗人の満足するようなことをやって、他者満足が得られても、それはだめかもしれない。

要は、基準の良し悪しが問題なのであり、誰の基準かはどうでもよい、ということだ。自己満足が非難されるのは、その時に採用している基準がダメな場合に限ってのことだが、「自己満足にすぎない」は、その肝心な点には触れず、人に焦点を当てている。自己満足はミスリーディングな言葉、あるいは単に間違っている。