ynkby's blog

正しく考えるというのは難しい

日本人と幸福

 幸福とは何だろうか。
 
 アリストテレスにとって、それは、究極目的であり、生涯にわたって人としてよく生きることである。人としてよく生きるとは、動物にも植物にもない、人固有のものである理性にしたがって適切な活動をすることである。そのためには、知性や性格を、そういったことができるように作り上げていかなければならない。そして、その能力をもって、ポリスにおいて正しい協同生活を実践する。加えて、普遍的真理あるいは神的なものを思念し、感じ取ることができれば素晴らしい。そんなことをアリストテレスは考えている。

 対して、日本人にとって幸福とは、ルース・ベネディクトによると、気晴らしである。日本人にとって生活とは、義務の遂行、報恩であり、それはつらいものである。そんな苦しい毎日のなかでの一時の気晴らし、これが、幸福である。それは、風呂であり、酒であり、女である。これは、単なる休息であり、やりすぎてはいけない。大事な義務の前では断ち切るものである。

 ということは、日本人にとってあまりに幸福であるということは、何か後ろめたいものであり、やるべきことをやっていないということを暗示することになる。幸福追求などは、ベネディクトも言っているように、驚くべき、かつ不道徳なものなのである。

 幸福追求といえば、日本国憲法に幸福追求権が定められている。憲法に定められた人権の基礎的なものとして位置づけられている。この幸福追求権は、アメリカ独立宣言に由来する。同じ言葉がアメリカ独立宣言にある。西洋由来のものであり、時代も場所も遠く離れていて同じものとは到底いえないとしても、古代ギリシャの思想にまでさかのぼれる系譜の中にある。しかしながら日本においては、これは、要は、気晴らし追求権と言っているに等しい。一般にはそのように膾炙しているにちがいない。

 

 

菊と刀 (講談社学術文庫)

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