- 作者: ショウペンハウエル,Arthur Schopenhauer,斎藤忍随
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1983/07
- メディア: 文庫
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読書は、他人の思索を追っかけてるだけである。読書は息抜きにするもので、自分自身で考えなければならない。にもかかわらず、権威ある言葉を引用して悦に入ってるやつが多い。考えるのが人間を他の動物から区別する特徴だとされたりするが、本当に考えてる奴はそれほどおらず、ほかの動物と人間との差は言うほどではない。
その考えるであるが、思索は何のためにやるのかと言うと、知るためだ。それも、真に知るためだ。しかし、考えることができるのは、知っていることだけだ。つまり、物事を知って、思索して、それを経て真に知るのだ。
どうやら著者によると、真に知るには考える必要があるが、その前に物を知らないといけないようだ。考えるということが、頭の中にあるものをこねくり回すことだとしたらそうなるだろう。頭の中に何もなければ考えることはできないから。
そういえば、覚えるか考えるかどっちが大事か、ということが問題にされりする。ゆとり教育導入の際にも暗記・詰め込みから考えるへ、覚える量を減らして考える重視へ、みたいなことが言われていたと思う。あるいは、ネットが普及して簡単に物事を調べることができる時代になったので、これからは知ってるよりも考えるの方が大事だというようなことも聞いた。
しかし、覚えるか考えるかというのは、選択肢の作り方が間違っている。まず考えるための物を知らねばならない。覚えるか考えるかではない。両方要る。覚えるかつ考える。そして真に知るのだ。