ynkby's blog

正しく考えるというのは難しい

なぜ有休消化が増えないのか 「産屋習俗にみるケガレ・共助・休養」

 

出産の民俗学・文化人類学

出産の民俗学・文化人類学

 

 妊娠すると退職を迫られるというのがニュースになった。妊娠は長らく血の穢れとされてきた。今はもうそんなことはないかもしれないが。しかし、無意識の感覚として残っているのかもしれない。とすると、穢れゆえ遠ざけないといけないという無意識の感覚から退職が迫られているということかもしれない。

妊娠は穢れだから遠ざけないといけないというのは、産屋に見られる。妊娠中から産後暫く、妊婦は、家を出て村はずれの産屋で生活する風習があった。産屋は、その都度作られ、産屋を出ると燃やし穢れごと消し去った。

穢れが移らないよう村から遠ざける隔離施設として産屋は理解されていたが、本論考は、産後、産屋で過ごさせることには、家事その他の仕事からの解放という機能があったことを指摘している。別に村から孤立させられているわけではない。いろいろ栄養のあるものを持ってきてくれる。海女の村とか尋常ではないハードワークが待っているところでは、産後、産屋に籠る期間も他の村の場合より長かったらしい。

穢れと産休がリンクしていた。ということは、穢れとかいって女性をおとしめるのはイカンと、穢れ関連の風習を考えなしに禁止していくと、産休機能も一緒になくしてしまい、えらいことになりかねない。

では、穢れはイカンが産休は必要だとすると、穢れを断ち切って産休を自立させる必要がある。しかし、産休を穢れとリンクさせるのにはわけがある。休暇をとるにはそれなりの理由が必要で、弱ってるからなどというのは、ガンバリズムの日本では通用しない。他方、穢れ嫌いの日本では、穢れてるから、というのは理由になった。しかも、自分をおとしめているのだから波風立たない。どうやったら有休消化が増えるのか、こういう面から考えてみればいい。