ynkby's blog

正しく考えるというのは難しい

日本の自由主義

 

自由主義は、国家の介入と闘うものだとすると、日本に自由主義はあるのだろうか。

そんなものはなくて、あるのは、親分子分の関係だ。子分は、親の言うことをきくが、親分は、子分の面倒をみる。

日本人は、政府の言うことはよく聞く。そして、政府は、国民の面倒をみる。コロナ禍にあって、自粛やらなんやら政府はいろんなことを言ってきたが、日本人はよくいうことをきいた。面倒をみてくれていると感じていたのだ。だから、刑罰を効かせなくても、要請で十分だった。

もちろん、国家の悪口を言ったりもする。でも、それは、親とか会社への愚痴みたいなもので、親の管理はうっとうしいが、やっぱり面倒はみてもらいたいし、当然、期待している。

これは会社とかでもみられる。最近は言わなくなったが、ちょっと前までは家族経営がうたい、親子のように従業員の面倒をみる、というのが多々あった。
親会社という言葉は、元請けにも使ったりする。最近たまたま読んだ本に書かれていたが、グンゼの創業者は「養蚕農家と製糸会社は、親子の関係を保ち・・・」といって、それを理想の形としたようで、実際、よい関係を築けたようだ。

これは、西洋法の考え方と異なる。西洋法は、対等化しようとする。組合を作って経営者とやりあう力を得、交渉しよう。重要情報の提供を義務にし、対等な交渉力を得よう。

親分子分関係は、対等にしようなどとは全く考えていない。力の差はあって、それを前提にしてどうあるべきかを問う。

国家に対してこの態度をとるということは、そうできるだけの信頼を国に対して持っているのだろう。西洋と比べて。

しかし、戦中派に関しては、戦中戦後に、国は信用できないということを経験した。これが、戦中派自由主義を生み、戦後の発展につながっていったのだ。

ただ、その後の世代は、再び親子関係に戻ってしまった。これが、日本のデフォルトだからだ。