ynkby's blog

正しく考えるというのは難しい

2009年米国トヨタリコール大騒動の原因

 

不具合連鎖

不具合連鎖

 

 

 

プロの交渉術。どんな場面でも絶対負けない28の最強ノウハウ

プロの交渉術。どんな場面でも絶対負けない28の最強ノウハウ

 

 

2009年から始まる米国トヨタリコール事件。3回リコールしている。9月29日にアクセルペダルがフロアマットに引っかかるかもしれないとしてリコールを発表。翌2010年1月21日には、フロアマットとは関係なしにアクセルペダルがが戻ら格生るかもしれないとリコール発表。さらに2月9日、プリウスなどのブレーキが利きにくいとリコール。NYTは、トヨタが落ちていくのを見るのは楽しいとか書いた。トヨタ社長は、米議会に呼び出された。

なぜこんな大事になったかというと、鳩山由紀夫のせいであるという。その交渉ベタが原因であるらしい。

交渉には、当然、テクニックがいる。例えば、ちゃんと段階を踏んで進めていくことが大事だ。交渉を三つの段階に分ければ、まずは、友好性を示すと同時になめられないような関係を築く。次に、言うべきことを主張する。最後に、落としどころに落とす。というような順を踏んでいく必要がある。

しかし、鳩山由紀夫は、これをすべて無視した。

2009年の8月30日に政権交代を起こす総選挙があったのだが、その直前、8月27日に、NYTに鳩山は反米記事を載せた。フランス革命のスローガン、自由・平等・博愛をフランス語で載せ、イラク戦争批判、金融政策批判を展開した。総理になる直前、オバマに会う前である。なめられてはいけないが、まずは、友好を示すべき段階で、喧嘩を吹っ掛けたのであった。アメリカメディアは大騒ぎし、ホワイトハウスは憤慨したという。

その後、日米交渉はガタガタであった。鳩山はオバマに会ってもらえない。日本として主張すべきことが、全く主張できなかった。そして、ガタガタのまま、鳩山は去っていった。何の解決もない。落としどころも何もない。アメリカには、喧嘩吹っ掛けられた後味だけ残ったという。

トヨタリコールの大騒動は、2009年8月28日のレクサスの事故を大々的に報じることから始まっている。

夫婦別姓を考えるモデル

夫婦別姓について考えるにあたり、姓にかかわる社会制度を三タイプ考える。

①氏族本位制。②家本位制。③個人本位制。

氏族本位制とは、姓が氏族名のものをいう。家本位制とは、姓が家名のものをいう。個人本位制とは、姓が個人名のものをいう。

氏族とは、血縁集団である。この集団の名が、氏族名という団体名である。個人が、ある氏族名を名乗ることは、その個人は、その氏族に所属していることを意味する。
家は、婚姻両当事者から成る団体である。この団体の名が家名である。個人が家名を名乗ることは、その個人が、その家に所属していることを意味する。婚姻両当事者は同じ家名を名乗ることになる。

婚姻両当事者が、異なる氏族出身であるとする。この時、婚姻両当事者各々の出身氏族所属のまま変わらない場合と、どちらかに転属する場合、新しい氏族を作る場合がある。一番目の場合、婚姻両当事者は、異なる氏族名を名乗り続ける。二番目であれば、転属する者が氏族名を変え、婚姻両当事者は、同じ氏族名を名乗ることになる。三番目は両者新しい氏族名を名乗ることになる。

子ができた時、その子の所属はどうなるのか。一番目の場合、両属しないのであれば、所属する方の氏族名を名乗ることになる。片親と同じ氏族名、もう一方とは異なる氏族名になる。両属するのであれば、二つの氏族名を名乗ることになる。二番目の場合、子の所属先は自明であり、親と子は同じ氏族名となる。三番目の場合も、親と子で同じ氏族名となる。

家と氏族の関係はどうか。婚姻当事者が氏族から独立しないとき、家は、婚姻当事者の所属氏族の構成団体となる。婚姻当事者の一方が転属し同じ氏族となっている場合は、家は、その氏族の構成団体となる。転属しない場合、家は、各々の氏族に両属するか、どちらか一方の氏族に属することになる。婚姻当事者が氏族から独立するなら、独立氏族下の家ということになる。
家名と氏族名は別のものである。家名を支配氏族名と同じにしてもよいし、しなくてもよい。

婚姻により新しく家を作るとき、婚姻者の出身家と新家の関係は、独立である。自由に新家の名をつけることができる。婚姻両当事者の出身家の家名を踏襲することもできる。その場合、複数の家名を持つことができれば、各々の家名を踏襲できる。できないのであれば、どちらかを選ぶことになる。

氏族本位制では、姓は、氏族名である。転属しない場合、夫婦別姓となる。家名と姓に、特段の関係はない。家名が設定されなくても、姓にとって特段の問題はない。家というものを特に意識する必要もない。
家本位制では、姓は、家名である。夫婦同姓となる。加えてその子も同姓となる。複数家名が可能であるなら複数の姓を同時に持つことができる。その場合も、家の構成員は同じ姓を持つことに変わらない。
個人本位制では、姓は個人名となる。団体名として観念できない。当然、夫婦同姓になるわけではない。子の姓が親と同じである必要もない。

朝鮮を見下す文化は和の文化が一因 『王権誕生』

 

王権誕生 (日本の歴史)

王権誕生 (日本の歴史)

 

 

筆者は、邪馬台国の成立を、明治維新になぞらえる。それは、薩長土肥連合で作られた明治政府と同様な、筑備播讃などからなる連合政権であるという。

西暦で言うと2世紀後半から3世紀辺り。倭国は乱れた。

それまで九州のイト国が倭国を代表していた。後漢の後ろ盾を得て、大陸との貿易で巨万の富を築いてきた。しかし、2世紀も終わりになると、後漢は衰亡し、三国志の時代へと突入することになる。これによって、それまで倭国を取りまとめていたイト国は、その後ろ盾を失うことになる。倭国のタガが外れてきた。

倭国の中の各クニが並び立つ状態。このような緊張感が高まった中で、各クニはどうしたかというと、連合政権をヤマトの地・纏向に作って解決したという。これが卑弥呼邪馬台国だ。筑備播讃らが中心で、中でもキビのクニが優位であったようだが、別にキビが他のクニを支配するというものでもない。前方後円墳が作られるのはこの時期からだが、それは、各クニを連合した新しい政治組織としての祭祀を、それまでの各種伝統をもとにして新しく作ったのだ。

中国の古文書をもとに、倭国の乱と言われたりするが、中国であったような、黄巾の乱が勃発し、諸豪族が乱立し、三国鼎立に至るような内乱があった様子は、考古学的にはないらしい。緊張関係はあったものの、大乱には至らず、連合政権を作ってまとまったようだ。中国側から見ると、倭国の中の各クニが並び立って、どれが倭国を代表して、中国と外交するのかわからない状態。これを乱ととらえたようだ

倭国全体を巻き込む大乱なしに連合政権を作ったとすると、これが後の朝鮮半島に対する外交的優位確立のもとになったのかもしれない。当然のことながら、内乱は国を弱くする。朝鮮半島では、高句麗やら百済やら新羅やらその他小都市国家やらが、半島統一へ向け戦争しまくった。やるかやられるかしかないようだ。そして、負けが込んできた国が倭に助けを求めるという形で同盟を結んだ。当然、倭の有利に外交が進む。救援出兵してやるから先進技術を教えろよ、などと。そして、記紀で属国扱いされるに至る。先進文明を持っていたにもかかわらず、こんなことになったのは、内乱が原因にちがいない。

邪馬台国を作るにあたって、色々軋轢があったかもしれない。それでも連合政権ができたということは、和の精神があったからかもしれない。とすると、和の精神は、聖徳太子よりさらに、邪馬台国にまでさかのぼれるということになる。聖徳太子が和の精神を説いたのかどうかは知らないが、和の精神とは、豪族同士が争って内乱になると朝鮮みたいに国として弱くなるからやめろという国家政治レベルの話かもしれん。崇仏廃仏の争いを経験してきた人だし。

欧米人を鼻差別 『ヨーロッパ人相学』

 

ヨーロッパ人相学―顔が語る西洋文化史

ヨーロッパ人相学―顔が語る西洋文化史

 

 

どんな人相がどんな人格なのか。アリストテレスから現代に至るまで、人相と人格の関係は、どのように理解されてきたのか。

こういった人相は、こういった人格。ゆえに犯罪者になる傾向が強いとか。人相と人格の結びつけは、容易に差別に結びついた。昨今、人相学が流行らない原因の一つらしい。

ユダヤ人差別も、人相という観点から捉える。

例えば、19世紀には進化論的色彩をもった人種差別があって、それは、進化論的に、アジア人は白人とちがって未発達で、猿・類人猿に近いというものであるが、白人であるユダヤ人も、退化して猿・類人猿に近いとされた。風刺画などで猿顔に描かれていたりする。

古くから、風刺画などに描かれるユダヤ人には定型があるらしい。ユダヤ帽、服につけたローテラという車輪型マーク、髭、鉤鼻、偏平足といったものだ。

中でも鼻は、感情表現力の強い器官で、一般に、強情、卑劣、強欲といった性向を表すという。鼻を誇張するだけで滑稽で野卑な印象を与えることができる。風刺画家は、鼻をデフォルメすることで、ユダヤ人の内面を描き出したという。確かに、鉤鼻は、魔女の鼻だったりする。

欧米では、正面顔だけの日本と違って、横顔が重視されるらしい。だから、鼻がより目立つ重要な部位となる。こういったこともあって、侮蔑するのに、鼻のデフォルメがなされやすくなる。

とすると、欧米人をデフォルメするとき、鼻には気をつけなければいけない。欧米人をデフォルメして高い鼻に描くと、不快に感じる欧米人がいるという。デフォルメ自体が不快感を与え得ることはおいといて、これには、欧米の鼻文化が影響しているのかもしれない。細かいこと言えば、高さよりも形が問題なのかもしれない。

高い鼻に憧れるだけの日本の鼻文化とちがって、欧米の鼻文化はより複雑なのかもしれない。

日本の鼻文化が本当に高いに憧れるだけなのかは知らない。

八紘一宇の原点 『大王から天皇へ』

 

大王から天皇へ 日本の歴史03 (講談社学術文庫)

大王から天皇へ 日本の歴史03 (講談社学術文庫)

 

 古墳時代に入って、5世紀末、ヤマトに変化があった。ヤマトの王は、中国の冊封を受けてきたが、そこから離脱し、治天下大王という称号を使うようになった。

治天下とは、天下(あめのした)を治めるということ。天下とは、大王の支配の及んでいる領域。それは異民族を包摂した世界。異民族に含められたのは、日本の東国の夷。あるいは九州の熊襲とか隼人。そして朝鮮。

治天下大王とは、ヤマトの大王は、こういった未開の異民族も含めた世界を統治しています、という理念、主張。これは、冊封体制から離脱し、中国と伍していこうという意志の表れだ。天下とは、冊封体制に対応するものである。要は、中国と対等の一流国だよといいたいのだ。倭国中華思想と筆者は言う。

これが可能になったのは、倭が安定して国力を蓄えたこと。騒乱の中にある朝鮮半島に対し日本が優位なポジションをとってきたこと。中国も南北分裂時代で、日本にあまりどうこう言えるような余裕もなかったことなど。

ということは、欧州型植民地帝国主義が真っ盛りのとき、それに伍していくため、近代化に邁進し国力を蓄えた日本が唱えた八紘一宇は、治天下大王に由来するに違いない。単に、中国・東南アジアを大王の治める領域に含めただけだ。冊封に対するのが治天下なら、帝国主義に対するのが八紘一宇だ。

現在、日本は米国の冊封下にある。しかし、近年、米国の衰えが指摘される。そうなると、日本は冊封から離脱するかもしれない。さらには中国との対立が深まる一方で、中国共産党の支配の不安定化もうわさされる。世界に伍してやっていくために、治天下大王の復活、21世紀型治天下大王があるかもしれない。

KARAは愛する文化 『大王から天皇へ』

 

大王から天皇へ 日本の歴史03 (講談社学術文庫)

大王から天皇へ 日本の歴史03 (講談社学術文庫)

 

 

本書は、4世紀から7世紀にかけての日本の歴史を描く。ヤマト朝廷は、5世紀末ごろには治天下大王という称号を使うようになり、7世紀の天武朝の時に天皇という称号を使い始め、現人神として確立する。

治天下大王がつかわれるのは、ヤマトが東国から九州などを含む地域豪族を従え、その統治を確固としたものにしたころ。ヤマトは、異民族を含めた天下を統治しているのですよという主張である。

このヤマトの力を確立させたのは、4世紀ごろからの朝鮮半島交易、そして、5世紀になる頃からやってきた渡来人の支配だ。ヤマトは、鉄を始め、朝鮮半島由来の物や技術を独占した。これを使って、各地域を従わせる、抜きんでた地位を得た。

この時期、朝鮮半島交易は、主に朝鮮半島の南端、加羅と行っていた。この時期の渡来人も加羅から来たという(「伽耶」と書かれたりもするが、ラとヤは古代朝鮮語では同じらしい)。加羅とは、朝鮮半島南部の地域を指すが、もともとはその中の一つの国、金官国のことで、そこは古くは狗邪韓国と言った。このクヤが転じて、カラになったという。

加羅は、対馬の対岸にあり、良い天気の時には見える距離にある。有史以前から交流があり、日本側にとっては、大切な異国、珍しい先進的な外国の文物が入ってくる窓口であった。

そういったイメージをもったカラという言葉は、やがて、韓(から)となって、朝鮮半島全体を表すようになり、唐(から)となって、中国を指すようになり、そして、からゆきさん、に見られるように、漠然と外国を指す言葉となる。

とすると、KARAが日本で人気が出たのは、その名と無関係ではない。KARAの響きは、その出身地、韓を超えて、魅惑的な異国、舶来の感覚を日本人に呼び起こしたからにちがいない。

よいとかよくないとかはややこしい

日本の植民地支配はよかった、というとボコボコにされるのか。

よいとかよくないとか言うには、その判定の基準点が必要だ。

例えば、他の西洋列強のやっていた植民地支配とか、あるいは道徳とか。
道徳にも色々あって、劣った民族に文明をもたらす義務がある、とする道徳Aもあれば、民族は自身で物事を決めるべし、とする道徳Bもあったりする。

なので、他の西洋列強のやっていた植民地支配よりはよく、道徳A的にはよく、道徳B的にはよくない、ということもありえる。

新しい安保制度案はよいのかだめなのか。現状を基準点とするのと、理想状態を基準点とするのとで、ことなる判定となるかもしれない。

日本の民主主義は、立憲主義は、言論の自由はどうか。

いずれにせよ、何を基準点としているのかで相互の理解がズレていると、会話はかみ合わない。

道徳Aは基準点とすべきでないとかいう問題は、また別の話。