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正しく考えるというのは難しい

敗戦の原因は自動車  『世界自動車産業の興亡』

世界自動車産業の興亡 (講談社現代新書)

世界自動車産業の興亡 (講談社現代新書)

 

アメリカと言えば物量作戦だ。これを可能にしたものはなんだろう。資源量だろうか。確かに日本は資源のない国で、戦時中、金属が足らずお寺の鐘とかを軍が持っていったという。では、日本も資源があれば物量作戦ができたのかというとちがうようだ。

 

物量作戦を可能にするには、はやく大量に兵器を生産しなければならない。大量生産だ。そうでなければ、いくら原材料をたくさん持っていても、材料のままずっと放置という事態になる。大量生産は、精神力を発揮して不眠不休で働けばできるというものではなく、相応の技術・ノウハウがいる。兵器の大量生産を可能にしたもの、それがアメリカの自動車産業だ。

 

本書は、自動車産業の歴史を描く。自動車の歴史は欧州で始まった。当初クラフトマンシップを発揮して作られていた自動車であるが、アメリカにわたり、そこでフォードが大量生産技術を確立し、未熟練工が活躍してガンガン生産されるようになる。そして、T型フォードが売れまくる。

 

日本との戦争中には、ビッグスリーは自動車の生産をやめ、代わりに大量の兵器を製造し出した。戦車あり銃あり爆弾あり。装甲車なんかは100%が自動車工場で作られている。Tフォードのごとく兵器を製造していたのだ。

 

日本はどうだったのか。今でこそ日本の自動車メーカーはビッグスリー以上にうまく大量生産しているようだが、昔は全くできなかった。戦前にビッグスリーが日本進出を図り、その生産様式を日本でも実現しようと試行錯誤していた時期がある。しかし、日本がそれをものにする前に、軍部によって外資は排除されてしまった。日米戦については日本の軍のダメさがよく指摘されるが、この大量生産能力の日米格差の認識不足もその一つに入れてよいかもしれない。

 

物量作戦といえば、何でもビッグサイズで大味なアメリカという感じがよく出ていて、その意味でアメリカらしいと思うかもしれない。しかし、単にアメリカ的大味というだけではない。フォードが生み出した生産技術がそれを可能にしたのであり、その意味でもアメリカなのだ。