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正しく考えるというのは難しい

なぜ2002年ワールドカップは日韓共催になったのか 『北朝鮮』

北朝鮮――変貌を続ける独裁国家 (中公新書)

北朝鮮――変貌を続ける独裁国家 (中公新書)

 

本書は、日本が朝鮮半島から退去した後から、今年の四月頃までの北朝鮮を扱う。小国である北朝鮮が中ソ紛争や冷戦終了などの環境変化の中でどう対応していったかという観点から書かれている。金日成が政敵を倒して独裁体制を築き、冷戦体制が崩壊する中で後を継いだ正日が先軍政治をすすめ、さらにその後を継いだ正恩は今度は軍を抑え党優位の政治を行っているという。

 

さて、北朝鮮といえばちゅちぇ思想だが、この思想は、北朝鮮ソ連や中国による内政干渉を排し、朝鮮式の社会主義を進めるために考えた理屈から始まったという。ちゅちぇ=主体は、独立といった感じだ。そして、金日成が、外国の干渉を排除し、国内の政敵を倒してからは、金日成独裁のための思想へ変貌していった。そして、金日成は、正日に後を継がせるために動き出す。

 

そんな中で起こったのが1983年のラングーン事件だ。この事件は、ソウル五輪への参加を募って各国をまわる韓国大統領の爆殺を狙ったもので、失敗した上に相当な国際的非難を浴びてしまった。著者は、金正日の手柄にしたかったのではないかという。

 

IOCは、そんなに嫌なら南北共催ならどうだと提案したのだが、今度は韓国がソウル五輪の枠内での一部北朝鮮開催ならよいと返した。共催でないなら無意味と交渉を蹴った北朝鮮は、今度は、大量ボイコットを引き起こそうと、大韓航空機爆破事件を起こした。オリンピック前年の1987年だ。にもかかわらず、前回のロス五輪をボイコットした東側までも参加することになった。そして、北朝鮮は、テロ国家としての評判を確固たるものにした。

 

何でこんなことをやったのか。むろん北朝鮮は拉致とか色々やっていたのだが、さすがに爆破テロは目立ちすぎるだろう。

 

北朝鮮は、ソウル五輪が本当に嫌だったようだ。経済成長を遂げた韓国との国力差を決定的な形で見せられるイベントだったからだ。だから、参加国を減らしてしょぼいものとするために、爆破を重ねたのだ。

 

そしてたぶんそれだけではない。ラングーン事件は、後継者金正日に手柄を立てさせることを兼ねていたという。たぶん北朝鮮は後継者の手柄となると正気をなくす。正恩の時も延坪島を砲撃しているが、これも正恩の手柄づくりのためと言われている。そして、この時も国際社会から大反発を受けている。反発を食らうことくらいわかりそうなものだが、手柄をたてさせることに必死で、まわりが見えなくなってるかのようだ。ラングーン事件もたぶんそうだったのだ。ちゅちぇ思想を駆使して金王朝を築き上げたはずだが、それだけでは不十分なのだろうか

 

それはともかく、大きなテロになったのは、たぶんオリンピックと後継者の手柄の二つが重なったからだ。

 

ところで、ソウル五輪の共催案をはねつけた韓国だが、サッカーワールドカップの時には、招致合戦に突然名乗りを挙げ、日韓共催にもっていった。共催というアイデアはたぶん、ソウル五輪の時の南北共催案がもとになっているにちがいない。色々と言われている日韓共催だが、北朝鮮も結構腹立ててたのかもしれない。しかし、ラングーン事件がなければIOCが南北共催案を持ち出すこともなく、従って、日韓共催というアイデアが出ることもなかった。つまり、日韓共催になったのはラングーン事件があったからで、結局北朝鮮のせいということになる。ちなみに、2018年の冬季五輪は韓国で開かれる予定で、これについても南北共催案が出ていたらしいが、韓国は再び拒否したようだ。