ynkby's blog

正しく考えるというのは難しい

ノマドと中国とクールジャパン 『遊牧民から見た世界史』

 

 

もう言わなくなっただろうか。ひところノマドが流行っていた。ノマドワーキングとか言う。ノマドとは、遊牧民と訳されたりするが、より正確には移動民のこと。農耕移動民も存在するらしく、それもノマドだ。牧畜する移動民は、パストラル・ノマドというらしい。本書は、ユーラシア北部で活躍した遊牧民を中心に歴史を描く。

歴史からは、よく遊牧民の存在が抜け落ちる。たとえば、ペルシャ戦争で有名なアケメネス朝ペルシャ遊牧民との関係だ。ギリシャのポリス連合軍が、アケメネス朝の侵略を撃退したというのがペルシャ戦争であるが、そのペルシャ戦争の20年前に、アケメネス朝は北方騎馬民族スキタイと戦争して負けている。この時もしスキタイに勝ち、自軍にスキタイ騎馬部隊を編制して陸からギリシャに攻め込んだら、ポリス連合軍は負けていたかもしれない。しかし、アケメネス朝といえば、ギリシャとの関係ばかりが有名で、北方遊牧民との関係は全く意識されない。

遊牧民の歴史の研究には、発掘みたいに現物をもとに行うものと、昔の文献を読み込んで行うものがある。後者の場合、遊牧民は文字を残さなかったので、遊牧民とかかわった周りの国に残された文献から遊牧民の記述を集め、その姿を描いていくことになる。ソ連の解体によって、各国の文献研究をつなぎ合わせることができるようになり、遊牧民研究は結構進んだようだ。ただ、周辺国の文献は、当然、周辺国の視点から書かれており、偏見、断定、黙殺も多い。戦争なんかしてたら、その程度はひどくなる。

そういったことの現れは、たとえば、「柔然」という遊牧民に関する中国文献の表記に見られる。「柔然」の他に、「蠕蠕」とか、「茹」とか、「芮」などと表記される。

いうまでもなく漢字は表意文字だが、当然、各字、音を持っていて、音訳に使われる。たとえば、アメリカは、美利堅と書く、イランは伊朗。柔然も音訳だ。さらに、音、意味に加えて、絵としての見た目の美醜・雰囲気も持っている。ということで、音訳する際に選ぶ漢字で、対象をどう見ているかが分かってしまったりする。

柔然」と書くときは、弱弱しい、なよなよした感じを出したいという気持ちが現れているという。「蠕」は、虫がぐじゅぐじゅうごめくさま、茹」は、野菜のイメージで、むさぼり食らう、腐りやすい、臭いといった侮蔑感が伴うという。どれも前提には蔑視がある。他方、芮」は、草が生い茂る草原のイメージで、これは特に侮蔑感はなく、ニュートラルだという。

「蠕蠕」、「茹」とう侮蔑感の強いのは、北魏とか、隋、唐という、北の遊牧民と接し苦しめられてきた国の歴史書に現れる。だから、侮蔑感というか憎しみ、敵意でいっぱいになる。ニュートラルな芮」は、南朝の書に出てくる。遊牧民からは遠い、あるいは敵の敵という位置関係になるからだ。

かように、思いが現れる漢字の音訳だが、どうも「クールジャパン」の中国語は「酷日本」のようです