ynkby's blog

正しく考えるというのは難しい

なぜトックはもちもちしていないのか

 

 

照葉樹林文化ではないからだ。

日本の文化、食文化を語るうえで、照葉樹林文化は外せない。

照葉樹林文化とは、中国西南部中心に、アッサム地方から東南アジア北方、中国南部の照葉樹林帯の文化で、日本には縄文時代の後半、6000年くらい前の西日本に広まったらしい。

これらの地域に共通する一つの大きな特徴は、ねばねば、もちもちの食べ物を好むということだ。米で言うならもち米だ。これに対して、中国北部とかインドとかは、もちもち系は好まれない。パサパサ系だ。

もちろん、米が作物の主流になったのは、もっと後の時代だ。では、米以前に、もちもちはなかったのかというと、そうではない。粟のもちもちを食べていたらしい。照葉樹林文化は、もともと山で焼畑をやっていて、そこで粟などの雑穀を栽培していた。そして、この粟も、もちもち系の品種を栽培していたという。

米も粟も、普通、もち系にはならない。照葉樹林の人は、よりもちもちになるものを選んで、作り続け、品種として確立させたにちがいない。このもちもちへのこだわりはどこから来たのか。

照葉樹林文化の特徴としてイモの重視があげられる。正月の雑煮にサトイモを入れるところがあるが、照葉樹林文化では焼畑以前の段階からイモを食していた。そのイモを調理する段階で、ねばねばになったりする。ここら辺から形成され、続いてきた嗜好なのかもしれないということだ。

トックがねばねばでないのは、食の嗜好が異なるからにちがいない。朝鮮半島の南端は、かすめるように照葉樹林文化圏に入っている。加羅とか任那とかは照葉樹林文化だったのかもしれないが、小さすぎて朝鮮半島の主流にはならなかったのだろう。

ちなみに、今の日本ではどこでも、餅といえば、ねばねばもちもちだろうが、照葉樹林文化圏は、西日本までだ。東日本でも、ねばねばが常識になっているということは、西日本ヤマト政権の東進によって、文化が変わってしまったということにちがいない。朝鮮半島においても、日本領時代が続けば、トックもねばねばばかりになるにちがいない。東日本のように。

会議がながいわけ 『忘れられた日本人』

 

忘れられた日本人 (岩波文庫)

忘れられた日本人 (岩波文庫)

 

 

 

戦後に残された伝統日本をフィールドワーク。著者は、対馬とかを旅し、村々の人々と会話する。そこで観察された寄合。寄合とはどんなものか。

まず、皆が納得するまでやる。そして決まったら皆が守る。
村の集会所で集まり、何日でも話し合う。用事があったら帰ってよい。済ませてからまた参加する。飯を食いに帰るとか。弁当持参で来る者もいたという。食べながら話を続ける。夜になっても終わらないならそのままそこで寝て、また起きては話を続ける。難しい案件でも、だいたい三日で片付いたらしい。

進行はというと、侃々諤々とはやらない。理屈は言わない。そんなことすると収拾がつかなくなる。自分の体験とか、聞いた話とか、テーマに関係すると思われる出来事を話す。あの時はああなった、この時はこうなった。話に花が咲く。賛否の意見は、その話に含ませる形になる。あの時ああいうことをしたら、えらいことになってしまった、とか。

ひとしきり皆がしゃべると、別の話題に移っていく。が、しばらくすると、話が戻ってくる。そんなことをしながら少しずつ話が煮詰まっていく。冷却期間が重視される。賛否の意見が出ても、それへ応答はなく、しばらくそのままに放っておかれることになる。

最後は、長老が空気を読んで、そろそろ話を決めようとか言って、こうしてはどうだろうと皆に話しかける。そして、皆がそれで結構ですと同意して終了となる。多数決などない。

なお、昔の村なので、身分なり何なり色々あったわけだが、寄合での発言は互角に扱われる。

村共同体で、毎日顔をあわしても気まずくないようにするによいやり方である。一生をその村で過ごすわけだから、村人同士の関係の悪化は、重大問題である。

とすると、日本の会社の会議が長いのは、寄合文化だからに違いない。一生を過ごす会社において、毎日顔を合わせてもに気まずくないよう、遠まわしな言い方をし、賛否の意見が出たら、冷却期間を置くのである。

しかし、会社というのは、市場競争下に置かれた利益追求体で、その目的に向かって迅速に意思決定し、業務命令の下、まとまった行動をとらなければならない。上司もいれば部下もいる。ここに会社村の会議のジレンマがある。

政治家は政策を勉強すべきなのか

 

小泉純一郎 ポピュリズムの研究―その戦略と手法

小泉純一郎 ポピュリズムの研究―その戦略と手法

 

 

政治家は政策を勉強すべきなのか。
良い政策を実現するのが政治家の仕事だとすれば、政策を勉強するのは当然かもしれない。政策を勉強しなければ、何が良い政策か判断できないから。
しかし、政策を実現できなければ、いくら政策を勉強しても意味がない。

政策内容の理解力と、政策の実現能力は別の能力だ。
そして、この二つは両立しないにちがいない。

このことをよく理解しているのは、郵政省をぶっ壊すの合言葉の下に、郵政族その他の強力な反対を押し切って郵政民営化を成し遂げ、圧倒的な政策実現能力を見せつけた小泉純一郎だ。

政治家は、メッセージが弱くなるから、勉強すべきでないし、議論すべきでもない、直感でいく方がいいというのが小泉の持論であった。

確かに、道路公団民営化の時に小泉とかかわった田中昭一は、小泉は委員会の議論を理解していないし、関心も持っていない、「分かった」を連発するが、分かってはいないと批判している。

小沢一郎も、小泉とは議論が成り立たない、何を質問しているかを正確に理解できていないし、理解しようともしていない、と国会の代表質問で批判している。

勉強しないから、メッセージが強くなった。ひいては郵政民営化につながったのだ。

他方、橋下知事が、都構想で敗北したのは、都構想の内容に関わりすぎ、メッセージを弱くしてしまったからにちがいない。住民投票というメッセージの強さが一番必要とされるところで、都構想の内容を説明させろとばかり言っていた。弁護士だけに小泉のようにあほになれなかったのかもしれない。

政治家は、政策内容か、実現力かのジレンマに立たされている。

「強敵」と書いて「とも」と読む文化

政敵を追い落とすと、祟りを食らうことがある。非業の死を遂げ、祟りを引き起こす魂を、平安時代あたりから怨霊と呼ぶようになった。

祟る怨霊をどうするか。名誉回復とか、お経の書写とかして、鎮魂する。菅原道真は怨霊となって、自分を大宰府に追いやった政敵を雷で撃ち殺し、世の中に災厄をもたらしたが、北野天満宮が作られたりして、ことは収まった。

道真の場合は人事の問題だが、時に政争は戦争に至る。こうなると、たくさんの人が死ぬ。そうすると、戦没者をまとめて鎮魂するようになる。そして、敵味方供養の歴史が形作られる。怨親平等の思想とか言われたりする。

称徳天皇は、藤原仲麻呂の乱の後、戦死者すべてを等しく供養するということをやっている。朱雀上皇は、将門や純友の乱の戦没者供養を行っている。源頼朝は、源平の戦乱の死者に対する鎮魂を行っている。

怨に対して、怨ではなく徳で報いれば、怨は消えるとか、あるいは、怨を転じて親となすことができる、とかいって鎮魂していた。

北条時宗は、元寇後の鎮魂に、「怨親悉平等」という言葉を使った。怨親平等とは、元々仏教語だが、転じて、敵も味方ももともと平等だから、平等に愛憐する心を持つべきだ、敵味方一視同仁、という意味だ。この辺からは、祟りや怨霊が怖いといった面より、供養、成仏、あるいは博愛主義的な様相が強くなっているようにみえる。

時代は下って、平和な江戸時代には、敵味方供養は姿を消す。が、明治に入り復活する。しかも、江戸時代に醸成された武士道の影響から、敵への敬意が加味されていた。

日露戦争後、旅順に戦没者慰霊の塔が建てられ慰霊祭が行われた。そこには、戦時中は仇敵だったが、戦後は友邦者となったのであり、ロシア人も国のための忠義を尽くした英霊であるのだから、ちゃんと弔わなければならないという思いがある。

「強敵」と書いて「とも」と読むのは、この流れにある。

「強敵」を「とも」と呼ぶ。そこには鎮魂がある。

 

 山田雄司怨霊とは何か - 菅原道真・平将門・崇徳院 (中公新書)

 藤田大誠「近代日本における「怨親平等」観の系譜

 

 

日本が清潔な理由、京野菜がブランド化した理由

 

京都〈千年の都〉の歴史 (岩波新書)

京都〈千年の都〉の歴史 (岩波新書)

 

 日本が清潔なのは、16世紀に人糞肥料ビジネスシステムが確立したからだ。

人糞肥料ビジネスシステムが確立したのは、日本が人糞肥料文化だからだ。
日本が人糞肥料文化になったのは、豚がいなかったからだ。

人糞肥料ビジネスシステムによって日本が清潔になったのは、人糞の商品化へ向けた設備投資により、汲み取り式便所が普及したからだ。
人糞の商品化が試みられたのは、農業の発展に伴い、肥料需要が高まったからだ。
汲み取り式便所が作られたのは、人糞を、不純物のない形で一か所に集め、売ることができるからだ。
日本が清潔になったのは、汲み取り式便所の普及により、それまでの街角排便の習慣がなくなったからだ。

京野菜がブランド化したのは、京野菜がうまかったからだ。
京野菜がうまかったのは、汲み取り式便所型近郊農業が確立したからだ。
京野菜がうまかったのは、京都近郊なので、質のよい人糞肥料が手に入ったからだ。
京野菜の人糞肥料の質がよかったのは、京都から供給される人糞の質がよかったからだ。
京都の人糞の質がよかったのは、京都には美食者が多かったからだ。
美食者の人糞がよいのは、人糞の質は、その供給者の食べている物で決まるからだ。つまり、美食者の糞からの方が、粗食者の糞からよりも、よい人糞肥料ができるからだ。

日本が清潔で、京野菜がブランド化したのは、人糞肥料ビジネスシステムが確立し汲み取り式便所が普及したからだ。

 

2009年米国トヨタリコール大騒動の原因

 

不具合連鎖

不具合連鎖

 

 

 

プロの交渉術。どんな場面でも絶対負けない28の最強ノウハウ

プロの交渉術。どんな場面でも絶対負けない28の最強ノウハウ

 

 

2009年から始まる米国トヨタリコール事件。3回リコールしている。9月29日にアクセルペダルがフロアマットに引っかかるかもしれないとしてリコールを発表。翌2010年1月21日には、フロアマットとは関係なしにアクセルペダルがが戻ら格生るかもしれないとリコール発表。さらに2月9日、プリウスなどのブレーキが利きにくいとリコール。NYTは、トヨタが落ちていくのを見るのは楽しいとか書いた。トヨタ社長は、米議会に呼び出された。

なぜこんな大事になったかというと、鳩山由紀夫のせいであるという。その交渉ベタが原因であるらしい。

交渉には、当然、テクニックがいる。例えば、ちゃんと段階を踏んで進めていくことが大事だ。交渉を三つの段階に分ければ、まずは、友好性を示すと同時になめられないような関係を築く。次に、言うべきことを主張する。最後に、落としどころに落とす。というような順を踏んでいく必要がある。

しかし、鳩山由紀夫は、これをすべて無視した。

2009年の8月30日に政権交代を起こす総選挙があったのだが、その直前、8月27日に、NYTに鳩山は反米記事を載せた。フランス革命のスローガン、自由・平等・博愛をフランス語で載せ、イラク戦争批判、金融政策批判を展開した。総理になる直前、オバマに会う前である。なめられてはいけないが、まずは、友好を示すべき段階で、喧嘩を吹っ掛けたのであった。アメリカメディアは大騒ぎし、ホワイトハウスは憤慨したという。

その後、日米交渉はガタガタであった。鳩山はオバマに会ってもらえない。日本として主張すべきことが、全く主張できなかった。そして、ガタガタのまま、鳩山は去っていった。何の解決もない。落としどころも何もない。アメリカには、喧嘩吹っ掛けられた後味だけ残ったという。

トヨタリコールの大騒動は、2009年8月28日のレクサスの事故を大々的に報じることから始まっている。

夫婦別姓を考えるモデル

夫婦別姓について考えるにあたり、姓にかかわる社会制度を三タイプ考える。

①氏族本位制。②家本位制。③個人本位制。

氏族本位制とは、姓が氏族名のものをいう。家本位制とは、姓が家名のものをいう。個人本位制とは、姓が個人名のものをいう。

氏族とは、血縁集団である。この集団の名が、氏族名という団体名である。個人が、ある氏族名を名乗ることは、その個人は、その氏族に所属していることを意味する。
家は、婚姻両当事者から成る団体である。この団体の名が家名である。個人が家名を名乗ることは、その個人が、その家に所属していることを意味する。婚姻両当事者は同じ家名を名乗ることになる。

婚姻両当事者が、異なる氏族出身であるとする。この時、婚姻両当事者各々の出身氏族所属のまま変わらない場合と、どちらかに転属する場合、新しい氏族を作る場合がある。一番目の場合、婚姻両当事者は、異なる氏族名を名乗り続ける。二番目であれば、転属する者が氏族名を変え、婚姻両当事者は、同じ氏族名を名乗ることになる。三番目は両者新しい氏族名を名乗ることになる。

子ができた時、その子の所属はどうなるのか。一番目の場合、両属しないのであれば、所属する方の氏族名を名乗ることになる。片親と同じ氏族名、もう一方とは異なる氏族名になる。両属するのであれば、二つの氏族名を名乗ることになる。二番目の場合、子の所属先は自明であり、親と子は同じ氏族名となる。三番目の場合も、親と子で同じ氏族名となる。

家と氏族の関係はどうか。婚姻当事者が氏族から独立しないとき、家は、婚姻当事者の所属氏族の構成団体となる。婚姻当事者の一方が転属し同じ氏族となっている場合は、家は、その氏族の構成団体となる。転属しない場合、家は、各々の氏族に両属するか、どちらか一方の氏族に属することになる。婚姻当事者が氏族から独立するなら、独立氏族下の家ということになる。
家名と氏族名は別のものである。家名を支配氏族名と同じにしてもよいし、しなくてもよい。

婚姻により新しく家を作るとき、婚姻者の出身家と新家の関係は、独立である。自由に新家の名をつけることができる。婚姻両当事者の出身家の家名を踏襲することもできる。その場合、複数の家名を持つことができれば、各々の家名を踏襲できる。できないのであれば、どちらかを選ぶことになる。

氏族本位制では、姓は、氏族名である。転属しない場合、夫婦別姓となる。家名と姓に、特段の関係はない。家名が設定されなくても、姓にとって特段の問題はない。家というものを特に意識する必要もない。
家本位制では、姓は、家名である。夫婦同姓となる。加えてその子も同姓となる。複数家名が可能であるなら複数の姓を同時に持つことができる。その場合も、家の構成員は同じ姓を持つことに変わらない。
個人本位制では、姓は個人名となる。団体名として観念できない。当然、夫婦同姓になるわけではない。子の姓が親と同じである必要もない。