ynkby's blog

正しく考えるというのは難しい

なぜ飲酒運転はよいのか

古事記誕生

他の国ではそうでもないらしいが、日本では酒に酔った上での粗相は大目に見られる。

昔からそのようだ。戦国時代に日本に来たルイス・フロイスは、西洋人は酒に酔うことは恥辱なのに、日本人は誇りにしよると書いた。

そして、それは、古事記の時代にまで遡れる。

古事記の天の岩屋戸の神話は、スサノオ天照大神の疑いを晴らした後、大暴れし、はじめはそれを庇っていた天照も、堪えきれなくなって岩屋戸に隠れてしまうことから始まる。

天照がどう庇ったかというと、スサノオが屎まき散らしたのに対して、酒によって吐いただけでしょと言ってかばったのであった。これが庇ったことになるのは、酒に酔った上でのことは、そんな咎めるようなものでもないということが前提にあるからだ。

なぜ酒に酔って吐くのはいいのかというと、酒酔いは神がかりだからだ。米の神様が体内から威力を発揮したから、酔って吐くということになったのだ。こういう解釈が成立したから、日本で酒に酔うことは悪く言われなくなった。

ちなみに、いつごろこの解釈ができたのか。DNA的には、縄文人は酒に強く、弥生人は弱い。弥生人は中国からやってきたが、中国では日本ほど酒に酔った人間に寛大ではない。ということで、この解釈は、中国にあったものではなく、弥生人がやってきた後の日本で生まれたことになるという。

しばらく前から飲酒運転への罰則が厳しくなっている。さすがに人が死ぬのを許すわけにはいかんということだろう。飲酒運転は減っている印象を受けるが、長年の文化が、そう簡単に消えるだろうか。しばらくしたらまた増えていくにちがいない。