ynkby's blog

正しく考えるというのは難しい

肌色人種社会で起きる青のブルー化 『日本語と外国語』


日本語と外国語 (岩波新書)日本語と外国語 (岩波新書)
(1990/01/22)
鈴木 孝夫

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本書は、日本語と外国語(英語、フランス語、ドイツ語など)を比較しつつ、外国語を理解するには、その文化と認識枠組みを知らなければならないということを述べる。

色の例を挙げる。
色の範囲が言語によって異なっていることを指摘する。
フランス人は、茶封筒の色もジョーヌ・黄色というらしい。
このようなことを知らなければ、小説などを読んで情景を思い浮かべても変なことになるという。
そして、このようなことは往々にして辞書にも載っていない。
色に限らず、表面的に言葉を捉えても誤解していることが多々ある。

英語のイエローもジョーヌと同じなら、黄色人種がなぜ黄色なのかもわかる気がする。
常々自分の肌の色は黄色ではないのにと不思議だったが、
茶封筒の色をイエローというなら、自分の肌の色もイエローと言ってよさそうだ。
そして、イエロー・レイスをそのまま黄色人種と訳したのだろう。
ただそうはいっても、やっぱりこの色は黄色ではない。イエローかもしれないが。
日本ではこの色は肌色という。
やっぱり「黄色人種」は誤訳で、「肌色人種」とすべきだろう。

さらに、青信号論争にも結論が出る。
青信号は青じゃなくて緑だという話がある。
英語ではグリーンだ。
でも日本語ではあれも青というのだ。
青竹も青のりも、緑だけど青と言うじゃないか。
英語ではグリーン、日本語では青でいいのだ。

しかし、最近青信号の色が変わってきた。
ブルーになった。
なぜだろうか。
青=ブルーは、緑=グリーンではないから、青の色は間違いだという意識が働いたのではないか。
青の意味が狭くなったのだ。確かに違うとややこしい。
これは、翻訳によって日本語の意味が変化した例かもしれない。
文化交流とか、グローバル化による文化変容の一つだ。

青信号は、意味の変化に合わせて、物の方を変更したわけだが、
物が変わらなければ「緑信号」と呼ぶようになったのだろうか。
そうだとすると、青のりはブルーにするのは難しそうなので、
そのうち「緑のり」と呼ぶようになるだろう。