ynkby's blog

正しく考えるというのは難しい

なぜ仏教はすたれたのか

 

 

 

 

近代化と伝統―近世仏教の変質と転換 (大系・仏教と日本人)

近代化と伝統―近世仏教の変質と転換 (大系・仏教と日本人)

 

 もうお経を唱えられる人はほとんどいない。そんな教育はされていない。日本は仏教国といわれたりするし、そうだったのかもしれないが、もはや廃れてるんじゃないだろうか。なぜ廃れたのだろうか。

 本書は、江戸時代から明治時代に至る仏教と、日本人の信仰を見る。そこに見えるのは、仏教が、国家との関係を必死で維持してきた姿だ。

 江戸時代。信長とガチで闘ったりした仏教界だが、江戸幕府という強力な支配体制が確立されると、その中に組み入ることにした。
 多くの寺院が作られ、葬儀や年忌法要など家の宗教を受け持った。宗派による協議の違いはなくなり、幕府の支配に資するよう、与えられた役割を果たすようになった。典型的なのが、鈴木正三の説いた職分仏行説で、仏教の世俗倫理化の先駆で、職業労働に励むこと、それが仏行だ、とういうものだ。しかも、それは、幕府の恩顧の元、職分に励めというもので、幕府統治への絶対服従を前提としていた。世俗倫理を強調する近世での仏教の役割を表している。

 時代下って幕末明治に入り、廃仏毀釈という大きな危機が生じたときも、最終的には体制化して生き残ることになった。国家神道のもと、それを補完するものとして諸宗教を統制するという宗教政策に従い、「天皇制国家との癒着によって復興」したとする。
 布教を通して天皇制国家への従属を進め、数々の社会活動(軍隊布教、従軍布教、刑務教誨、その他慈善活動)が、仏教が国家に対し担う役割として引き受けたのである。内村鑑三不敬事件でも、仏教界はキリスト教の非国家主義を糾弾したという。

 ところが、戦後になって政教分離はずっと進んだ。仏教勢力も戦争協力を反省し平和勢力となった。政府と距離をとってしまったのではないだろうか。それまでの体制内補完勢力たることをやめてしまったことが、仏教衰退の原因にちがいない。