- 作者: 加藤 恭子
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2010/12/07
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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金のない中アメリカへ行き、メイドやらなんやらを続けながら勉強を続けたという壮絶な留学ライフの記録である。文化の違いからくる理解の違い、感覚の違いから生じた事件がたくさん記録されている。そして、その経験をもとに、欧米人にはどのような態度で臨むべきかが指南されている。
挙げられている一つのケースが、日本人は動物に残虐だという欧米人の理解だ。多くの欧米人がそう考えているという。原因は南極物語らしい。南極に犬を置いてきてしまったが、調査隊が翌年戻ったらタロとジロが生きていて感動した、という話だ。しかし、欧米人はこれを残虐と感じるようだ。ああいう状況になったら、苦しまないよう殺さなければならない。放置して長い苦しみを与えるなんて残虐極まりないのだという。しかし著者は、西洋人に合わせて犬を殺すのは私には無理と言う。
おそらく日本人は、殺す、とどめを刺すということができないのだ。そして、生きていてくれと一縷の望みにかけてしまう。そして、その一縷の望みに掛ける姿に感動したりもする。武士が生きていたらまた違っていたかもしれないが。
しかし、ということは、戦争の悲惨さを伝えた「かわいそうな象」は、象をさっさと殺さなかったばかりか、内緒でえさを与え、生かさず殺さずの苦しみを長引かせた飼育員は残虐であるという、残虐話ということになる。やむにやまれずえさをやったのに残虐と言わて飼育員もびっくりだろう。
同じことは動物だけでなく、人間の扱いにもあてはまるのだろうか。安楽死はどうなのだろう。さっさと殺さずに苦しみを長引かせるのは残虐なのだろうか。欧米文化では人間と動物の間には大きな格の違いがありそうなので、同じではないのかもしれないが、それでも安楽死には何か結構大きな感覚の違いが日本と欧米であるかもしれない。
西洋との文化の違い、感覚の違いに直面したらどう対処すべきか。南極物語のケースの著者のように、日本は日本、ということで、違いを維持するという選択肢がある。もちろん、西洋に合わせることもできるし、逆に、西洋を日本化することを目指してもいい。ともかく、文化が違うのだというアピールはした方がいいとは思うが、うやむやにして棚上げにするという選択肢もまたある。どうするにせよ、日本の文化はこう、西洋の文化はこう、とはっきり言えるようにしておいた方がよかろう。