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正しく考えるというのは難しい

記紀神話を超える 『古墳時代の埋葬原理と親族構造』

古墳時代の埋葬原理と親族構造

古墳時代の埋葬原理と親族構造

 

日本の文化に興味を持つ者として、男尊女卑とか男系女系には関心が向いてしまう。

 

本書は、古墳の調査を通じて、当時の支配層における男と女を考える。古墳に埋葬された骨を調べると女性のものも多い。さらに妊娠した形跡もあり、彼女らが一生未婚で通した聖処女的な特殊な存在であったわけでもないのであった。

 

埋葬される女性の比率は時代によって変化する。古墳に埋葬されるレベルの身分にもいろいろあるので、著者は、上から、大王層、首長層、非首長層の三つに分ける(大王とは天皇のことだが、「天皇」という呼称は7世紀からなので、著者は「大王」と言う)。変化が目立つのは首長層で、古墳時代前期には女性の骨も多く、男か女かにこだわらずにリーダーの地位が継承される双系であったといえるが、古墳時代後期には男性中心になった。他方、非首長層では双系が維持され、男性化は古墳時代後期になっても少ししか進まなかった。大王層は、発掘調査できないので文献資料からだが、古墳時代前期から男性中心だったろうと推測する。以上のことから、古墳時代を通じて、上の層からだんだんと男性中心に変化していったと考える。

 

とはいえ、単純にこれをみて、もともと双系だったのが古墳時代から男性中心化が進んで、現在に至ったと考えてはいけないという。というのも、弥生時代中期は、男性中心だったからだ。つまり、一方通行に男性化したのではなく、弥生期中期には男性中心だったのが、一度双系となり、再び古墳時代を通じて男性化したという流れになっている。

 

男性中心か双系かは何で決まるのか。著者は、世の中が平和かどうかによるのではないかと考える。弥生時代の男性中心だった頃は、倭国の乱の時代で、日本が荒れていた。その戦乱が卑弥呼の時代とともに治まり、双系時代が始まったのだ。そして、古墳時代中期になって高句麗との戦争で敗北し、緊急事態となって再び男性化した。つまり、戦闘を担当するのは男だから(これは男女の副葬品の違いから判断している)、戦乱の時代にはリーダーは男中心となる。しかし、平和な時代にはそんなことはどうでもいいので双系となるのだ。日本は戦乱時には男性に寄り、平和時には双系になる傾向がベースにあるのかもしれない。

 

では、天皇・大王のレベルではどうなのか。古事記日本書紀以降の話なら、男系でよいとしても、古墳時代弥生時代を視野に入れれば、どうみても双系だということが判明するかもしれない。もちろん、最初から男系だったかもしれない。例えば大陸から渡ってきたのが天皇の先祖でその時点からすでに男系であったとか。

 

ただ、こういうことを言いだすと、どの段階から「天皇・大王」と措定していいのかがわからなくなる。このまま発掘調査を続けていけば、いずれ天皇の定義問題が生じるだろう。

 

また、今後、調査からわかる事実と記紀神話の内容とのズレが明らかになっていくはずだ。記紀神話もその時の都合で作られている。記紀神話はどんどん相対化されていくだろう。