本書は、元来日本にあったのは太陽信仰ではなく月信仰だとし、日本の神話や文化を太陽信仰の観点から解釈しようとする者を太陽信仰至上主義と言って切って捨てる。
もともと海洋民族だったことからしても太陽よりも月なのだ。海の満ち干は月に支配されている。それに日本の暦はもともと太陰暦だった。さらに万葉集には月を読んだものが多い。例えば、有名な阿倍仲麻呂の歌も月を詠んだものだ。
〈あまの原 ふりさけみれば かすがなる みかさの山に いでし月かも〉
確かに古事記や日本書紀では太陽信仰がつづられているが、そんなものは政治的意図が反映されているだけだ。和歌には当時の日本人の自然な心情が表れているのだ。
また、月は何度も再生することから月信仰は再生信仰を導く。お祭りで酒を飲むのもその表れで、神と酒食をともにして魂を活性化し若返らせる意味があるのだ。再生思想も歌に詠まれている。天智天皇の皇后が、天智天皇の病気が治るよう願って詠んだ歌だ。
〈あまの原 ふりさけみれば 大君の み命は長く 天足らしたり〉
「あまの原ふりさけみる」が安倍の歌と共通しているが、このフレーズは月との結びつきが強く、これによって天智天皇を再生不死の月になぞらえ、また、「足らし」で月が満ち満ちるということを表したという。
さて、枕詞で使われる「たらちね」であるが、これも「足る」から来ているという。たらちねとは「足乳ね」、満月のような、お月様のような乳なのであった。
では、太陽信仰の中心であるアマテラスとは何なのかというと、元は太陽神ではなく、月の神で、もっとさかのぼれば機織りをしている神様だった。もともとアマテラスヒルメとか言われていて、ヒルメが名前の核であった。ヒルメとは機を織る女のことで、織った羽衣は月を輝かせる霊力をもっていて、ここから月の神になったという。
ついでに言うと、卑弥呼であるが、このヒも、「日の御子」の日、太陽ではなく、ヒルメのヒだろうと言う。
では、どのように太陽信仰が始まったのか。仏教が原因という。天武朝期に『金光明経』が護国の経典とされたのだが、これは太陽の光明に満たされた世界を説く。さらに、インドには太陽を賛美する習俗があり、シャカ族は太陽神の子孫だという。このような事情から太陽信仰が天武朝期に始まり、文武天皇の時期には完成した。なんと日本の太陽信仰の淵源はお釈迦様で、インドからの輸入品だったのだ。
著者の説がどこまで正しいのかは全くわからないが、しんみりする日本の文化は太陽より夕暮れの月とかが似合う気はする。
壬申の乱で権力簒奪した天武朝を正当化するために企画された『古事記』や『日本書紀』は、月信仰を太陽信仰に変えるために神話に色々と手を入れた書なのだ。「ひのもと」とか言って喜んでるやつは天武の掌で踊っているだけなのだ。