ynkby's blog

正しく考えるというのは難しい

なぜ民間医療はなくならないのか

 

 なぜ民間医療はなくならないのか

ガンなどの難病にかかった時、病院の治療を拒否し、民間医療に進み、回復せず深刻化し死に至ることがある。なぜ民間医療に魅かれるのか。なぜ病院は拒否されるのか。

日本は米信仰の国であった。最近はそうでもないようだが。それは、米を常食するということではなく、米の霊力を信じているということである。

どういうことかというと、米の霊力で、神が、人が、再生するという考えだ。典型的な形でいえば、米を神に捧げ、それによって神の力を再生し、そして、その霊力が人に分与される。

古来、米は常食されてきたわけではない。米はハレの日に食べた。柳田国男的には米を食べる日がハレらしいが、どういう時に米を食べたかというと、再生が必要な時である。出産・結婚・病気・死、重労働、災害・戦争など、不安・危機感に直面する時、心身の消耗に直面するときである。日本人は、再生を必要とする状況において、常に米の霊力に頼ってきたのである。

民間医療が担っているのがこれ。ハレ。霊力による再生である。科学的知見に基づいた現代医療は、この需要にこたえない。したがって、どんなに科学技術が発展しても、病人は、霊力の再生を求めて、民間医療のドアをたたくことになる。

現代科学は霊力の再生という需要にこたえようとするだろうか。デカルトが霊魂と肉体の二つに世界を分け、科学が肉体の世界で生まれ、肉体の世界を超えられない。とすると、科学的知見に基づく現代医療は、霊力再生を取り扱うことはないだろう。

霊魂の世界をハレ、肉体の世界をケ、とすると、民間医療はハレを担当し、科学医療はケを担当しているのである。