- 作者: 野矢茂樹,西村義樹
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2013/06/24
- メディア: 新書
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新聞・雑誌が事件を伝えるとき、ある情報を書かなかったため、大きく印象がかわって伝わることがある。殺人事件の記事にしても、長年のいじめに耐えかねたという事情が書いてあるのとないのとで、印象は全く変わってしまう。40兆ベクレルも垂れ流していることを記事にしても、それが実は安全基準を超えていないということを書くのと書かないのとでは受ける衝撃は全く違ってくると思う。あるのとないのとで評価がガラッと変わってしまうような重要情報をわざと書かないのなら、それは批判しなければいけないと思う。
しかし、どのように批判しよう。「印象操作だ!」か?でも、今一つパンチがないように思える。印象操作には、重要情報を書かないというやり方の他にも色々あるし。では、「嘘記事だ!」か?でも、嘘をついてるのだろうか。
ところで、認知言語学の中身で特徴的なものの一つが、プロトタイプ意味論のようだ。
例えば、偶数。偶数とは何かは明確にわかるし、偶数か偶数でないかどっちかに必ず決まる。しかし、そうはいかないものもある。例えば、赤とオレンジ。この時、赤とオレンジの間のどこかに両者を分ける境界線があって、赤とオレンジはきちっと区別できる、とは考えない。代わりに典型例を考える。典型的な赤があり、典型的なオレンジがある。そしてその間には、典型的とはいえないが赤やオレンジといえるものがあり、さらには赤でもオレンジでどっちでもいいんじゃない、というグレーゾーンがあると考える。
あるいは嘘。
嘘とは何か。①事実でないことをいう、②発話者自身が事実ではないと思っていることを言う、③聞き手を騙す意図がある、の三条件を満たすものが典型例だという。
そして、この三条件を満たさないものでも嘘と言われるものがある。例えば、嘘から出たまこと。実はホントだった、言った本人もびっくり、と言うやつ。これは、②と③は満たすが、①は満たされていない。でも、嘘と表現されている。典型例ではないけど嘘の範囲内にある。あるいは、騙すつもりはなかったが結果的に嘘になった、という言い回しもある。これは、②と③が満たされていない。でも嘘の範囲内。
とすると、重要情報を言わないことによって、真実と全く異なる印象を与えてしまう場合はどうなのか。重要情報を伝えないことは事実でないことを言ってるのも同然だといえるなら、①も②も③も全部満たす。とすると、これも嘘の範囲内といえ、この種の記事を「嘘だ!」と批判することができる。
しかし、これを嘘というのは違和感が強い気もする。やはり能動的に事実と違うことを言ってないと、嘘に含めることはできないのではないか。嘘というのが無理なら、何か別のインパクトある言葉を考えて、それを使って批判するか。
しかし、新しい言葉を作るより、嘘に含める方がいい気がする。言葉の意味は勢いで変わるので、嘘の意味拡張運動でも起こした方がよいと思う。