ynkby's blog

正しく考えるというのは難しい

天皇の戦争責任論の意味


日本は、経済発展した今でもアニミズムが生き残っている。日本の信仰として生きている神道が、それを体現している。精霊・神々が存在し、霊能者シャーマンが活躍する、アニミズム的神話世界を継承している。

普通、アニミズム段階にある世界は、近代主権国家を形成するには至らない。日本も、大きな国家となっていくうえで、いろいろ変わっており、原初的な形でアニミズムを残しているわけではない。

では、より純粋なアニミズムはどんなものか。

アニミズムの世界では、村長と村は同体である。村長が死ねば村も死んだとみなされる。そして、新しい場所に移って再び村が作られることになる。昔の天皇も、代替わりのたびに新しい場所に宮をこしらえてきた。アニミズムの伝統である。代が替わっても動かなくなるのは、藤原京とかが建設されてからだ。

あるいは、長が弱って来たら早めに殺して元気な後継者に継がすことが行われたりもする。村長と村が同体であるなら、村長の健康状態と、村の健康状態は連動する。

また、シャーマンは、自然災害とか五穀が実らなかったりとかかがあると、殺されることがある。災いを防げなかったら、怠慢としてその責任を取らされる。

とすると、昭和天皇の敗戦時の退位論は、アニミズムにちがいない。

天皇は、アニミズム的世界を体現する神話を基礎にした存在で、神の子孫であり、五穀豊穣を後に先に祝うシャーマニック伝統を受け継ぎ、村長と同様の、国長であるとすると、戦争による国の崩壊は、国長として天皇の力の欠乏を示すもので、国を立て直すには早急な新しい国長の擁立が急務ということになる。アニミズム的発想からは、ごく自然なことで、敗戦、あるいは不幸を与えたことに対して、責任を取らせるということである。

ただ実際には、昭和天皇が退位することはなかった。これは、日本が純アニミズムの世界ではなかったことを意味している。当時すでに近代化を進めた立憲君主国だったのであり、法的には天皇に責任はなかった。アニミズム的原理のみによっては動かない状況にあったのだ。

とはいうものの、退位論がその後すぐに力をなくしてしまった原因はというと、これはアニミズムだ。日本のその後の復興、高度成長による繁栄の道を歩み始めたのであり、うまくいっている時に国長をどうこうする意味はないからである。別に立憲制とかは関係ない。

そして、天皇戦争責任論は、今もくすぶり続けている。天皇に法的責任はなくともアニミズム的責任はあったのだ。それが、その後の発展でうやむやになってしまっただけなのである。


、これは、アニミズム的発想からは、天皇の敗戦責任は、ごく自然なことと言える。
これは、やはり日本にアニミズム国家であることを示してる。

 

 

ヤマト少数民族文化論 (あじあブックス)

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